直線的なブローライン、生地の厚さで緩急を表現したフロントシェイプ、キーホールを選択しないブリッジのフォルム。同年代のエントリーの中では圧倒的モダン性を獲得している本作、世界最古のグラスメーカーが大都市の名を付けた男性的スモークグレイ。次いで、前者名作と同時期に生み出された漆黒の個体。フォルム、シェイプ、カッティングなど変更点は一切加えず、ミッドセンチュリーの残り香を感じさせるダイヤヒンジのみを取り除いた実相。世界中から夢を求めて集結する上述大都市の自由意志を尊重した皮肉文句 “ バッカニア ” は単語本来の意味より “どこにも属さない” 主張として冠に名付けた本作共に、いずれも、傑作としての評価は引き続きで御座います。
元来、医療器具として認識されていた其々が、ファッションとしての力を持ち始めたのは英国某社の大きな功績でしょうが、しかしながら顔に乗せるだけで其の男性の個性や印象や性格やロマンティシズムというのを増長させる、魔法の道具としての理解は当時からもそうでしょうし、その道具其々に、其々の名前を付す、というのも当然、其々の想いを付すことと同義。所有する者としては、愛用品に迎え入れる者としては、常用品と化す場合においても、その名と、その想いに、尊敬をもって接することが、魔法の道具に留まらず習慣物として「壊して、直して、使う」を成立させるエンジンになりますし、甥っ子姪っ子へ請けが宜しくなくとも耐えうる強靭な精神力の土台となりますし、あるいは世界中を魅了する「律儀な犬」を物語として描き出すことができるわけでありましょう。本作の偏愛者、チャールズ・M・シュルツ故氏に敬意を表しまして。
New arrival 60s American Optical model “ MANHATTAN ”
New arrival 60s American Optical model “ BUCCANEER ”
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
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数年前、酒の席で友人に問われたことが御座いました。憶えば一度も考えたことがなかった、当然、心の引き出しに仕舞った記憶もなく、引き出しから取り出した事もなく、それは不意をつかれた瞬間でありました。とはいえ販売員を生業とする者であれば、あるいはファッションを愛する者であればひとりやふたり、心に留めているのが常であろうと思うわけでありまして、美味しいハンバーガーを作ることを業とするその友人に問われた際は、久方ぶりに冷や汗を滲ませたものです。捏造するわけにも参りませんので、いないものはいない、とビールジョッキをどんっと置いて答えるしかないのですが、販売員を業とする者の回答としてはいささか寂しいもの、これは酒の肴にもならん、そのように後ろめたさと回答を常備していなかった少しばかりの恥ずかしさをもってこのように切り込みました。「心して聞け、闇夜に烏雪に鷺である。僕は雪の日のカラスになりたいのではない。」何かの引用を心の引き出しから引っ張りだしたわけですが、解釈しすぎた挙げ句、大迂回することとなったこの回答。当然「うむ、なるほど。販売員らしいな」とは成らず。
「おまえ、洋服を着るとき指標となる好きな人物はいるのか」
いないのです。全く以てお恥ずかしい。映画や音楽、カルチャーのフィルターを通られてきた方も多いと思いますが、そのフィルターが分厚くしっかりとしたものであるならば、おそらくひとりやふたり、お心に留められている特定人物、著名人、偉人などいらっしゃるのではと憶います。ファッションをお好きな方であれば。
姿形そうなりたいと想う「切望」とは少し違うかもしれませんが(そう想っている方もいらっしゃるのだろうけれど)おおかた、漠然とした特定人物像と漠然としたイメージ媒体として心の引き出しに仕舞われているのだろうと思案を巡らせるところ。質の良い筋肉をもった男のスーツ姿、であればカジノロワイヤル出演のダニエルクレイヴ、のような男性像、のように。広告映画色が一段と強まっている同シリーズものの中で彼が演じるダブルオーではカジノロワイヤルが好みでして、特に終盤、股間に太いロープを何度も打ち付けられる拷問シーンは彼の類のない裸の屈強さが収められておりますが、その数日後にエヴァグリーンを抱くのだから大したものです。
しかしながら友人に質問された際に「よくぞ聞いてくれた。僕が心に留めている特定人物とはまさに、股間をも見事に鍛えて上げたダニエルクレイヴである」とはならず、目指しているわけでもなく、スーツを着る際に思い浮かべるわけでも御座いません。そのレヴェルにおいて無意識に、漠然とした特定人物像と漠然としたイメージ媒体として心の引き出しに仕舞っているわけでありますが、強いて申し上げるならば、強いて、ただひとりを申し上げるならば、わたくしがヴィンテージアイウェアを選定するきっかけとなった人物で御座いまして、けれどもファッションとしてアイコンとして心中に留まり続けているわけでは御座いませんし、しっかりとしたセルフレームとジャストフィットのスウェットシャツの具像は確かに今でも心の引き出しに仕舞われている画、しかしながら言葉そのまま「きっかけ」にすぎず、それはピーナッツ原作者チャールズ・M・シュルツ故氏であり、同氏が普段日頃より愛用品として、常用品として、道具のひとつとして使用していた其のアイウェアで御座います。当時米国では珍しくも英国的アプローチが表出した正統的個体でありまして、米国某社が同時期にエントリーさせた同型の別個体も素晴らしいフォルムを放っていたりと、この辺りはまた別の機会と致しますが、いずれにしましても、同氏がわたくしのファッションバイブルとなったわけでは御座いません、ただ、わたくしが常用品を選定するうえで、闇夜のカラスを進んで模索するわたくしを優しく微笑みながらエスコートしてくれた著名人であることは確かで御座います。誠に、僭越ながら。
そもそもとして、気の知れた友人宅の敷居を跨ぐ前に手みやげを差し出す、あの紳士性をもった犬を贔屓にしているもので。
さて、先日の福留のDiaryですが、そのようにわたくしも懐かしんでおりました。わたくしが当店に立たせて頂く前、弊社別セクションにてキーボードをタイプしていた頃(かれこれ4,5年前でしょうか)、当時SURR専任であった福留が、時はたまにわたくしの居るセクションに出現し、キーボードをたたくことで一生懸命なわたくしに向かって不規則かつランダムな質問を唐突にも不可避のタイミングで繰り出すという運動が御座いました。さらにその質問に答えたとしても全く返りがなく、そうか、僕はこのように試されているのだ、と引き続きキーボードをたたく日々。「いま逢えるとしたら、誰に逢いたいか」、“ジムキャリー” と即時即答していた当時が懐かしく。そしておそらく、美味しいハンバーガーを作ることを業とするその友人に対する回答の正解は「ジムキャリー」と「股間を見事に鍛えた英国諜報部員」と「律儀な犬」だったのだろうと、彼が求めたのは真意ではなく酒の肴だったろうと。数年前の話ですが、次回があれば今度は同様の質問を浴びせてやるつもり。ちょっとやそっとの回答ではわたしの酒は進まぬぞ。
SURR by LAILA 小林
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仮に自然体で伝統的で心地良い紳士性が溢るる一つのアイウェアがあったとして、それを仮に小林がかけた際、従来の彼らしさプラス上品な知性と従来以上の優しさと、何より一人の男性としての大いなる深みを私が感じたと致しましょう。そして彼に そのアイウェアはとても良く似合っているぞ と常用品として推奨した時、決断をくだすのは彼の意志と彼の考えです。そして仮に彼がそのアイウェアを選ばないという道を選んだ時、私は純粋に不思議に想います。こんなにも似合っているのに、選ばない道を選ぶとはこれいかに? しかしながら、私がこの生業において最も興味が注がれ、思慮深き面白みを感じている要素の一つはその点 “ 私の意志が及ばない、第二者の意思と考え ” にあります。
上記の仮定では小林からすると私が, 私からすると小林がそれぞれ第二者 ( =相手 ) となり、私が推奨するに至ったのは自身の人生と経験に準ずる結果であり、小林が選ばないに至ったのは彼自身の人生と経験に準ずる結果。私は根本的な美などの意識共有やいわゆる信頼関係を前提としたうえでの、第二者との考え方や判断の違いや差異が途方もなく愉しく感じられ、なんと申しあげたらよいか分かりませんが、とにかくその違いや差異が 心躍る のです。
調べてみましたところ、小林が初めて綴った Diary は 274 でした。平均して 5回に 1回ほどのペースで私が綴らせて頂いているとしたら約 230 の Diary を彼が手掛けたことになりますが、これまでにおいて私が “ このお品を皆様方に御提案するにあたって、こう綴るように ” “ カメラを用いてこう切り取るように ” と指示したことはただの一度もございません。と申しますかそもそも “ 教える ” ( 苦手な単語 ) という行為自体ほとんどなかったはずです。諸々の経緯を経て小林を SURR の店長 ( もちろん当初はその候補 ) とさせて頂いた次第ですが、当初より彼の表現において指示及び教えることをしなかったのは、私がそのような状況を経て今に至ったこともありますが、なにより私以外の第二者の脳に基づく考え方や判断が “ 観 ” たかったのです。一人の人間 ( 脳 ) が一貫し続けることには様々な論点において良いことがありますが、元来私はそれが全てだと想っておりません。そして一人の人間から別の人間に替わった際には、 ( 根本共有を前提に ) 必ずや新しくなるべきだと強く考えています。
彼が綴ってきた約 230 の Diary の内容において私が想うことがあったとしてもそれは重要ではなく、手掛ける人間自身の意思と考えを胸に判断しているかが重要なのです。どうしたら正解かという概念そのものが無粋の極みとしております。
このような第二者との愉しい関係性は、私にとってお客様方と相対させて頂く機会にもございまして、私の意思が及ばない第二者である御客様方がそれぞれの人生と経験を基に SURR の品をどのように御覧になられるか、時にどれを御選びくださるか。それを目前させて頂くという時間は私の生業, いわゆる販売員 ( これも苦手な単語 ) という役割においての至上。表現として正しいか分かりかねますが、心の底から “ 役得 ” に想います。今後ともどうぞ宜しくお願いできましたら幸いです。販売員人生万歳。
さて最後も仮になりますが、もし自分以外が SURR の品として何かを選んできたらどうなるだろう、と考えることがあります。前述の通り ( ただしこれに関しては最重要の価値観基準で ) 根底共有のうえ自身の意思と考えを胸に判断していたら問題はありませんが、どのような布陣にせよ私は純真無垢な性悪人間としての矜持に則り、一先ずは “ ほぅ、ふんっ ” と片口角を上げるのではないかと想像しております。しかしながらそれに “ が ” 現在進行形の SURR であると一部から Mr ポジティブ と呼ばれる私は考えます。そう、私は性善説主義者であり、そして SURR は全員に好かれることを目的としない主義の空間なのです。
SURR by LAILA 福留
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