兼ねてよりご提案を続けてまいりました50年代あるいはそれ以前における、French work atelier coat という存在。就業時、自身の衣服が汚れないように、または来客時に仕事で汚れた衣服を覆い隠すため上から羽織られていた主な活用法でありながら、あらゆる場面に適応する実際力と驚異的な快適性から「完璧な生活着」として永い時代失われず,愛され,護られつづけてきた歴史的所産。膝付近まで覆うことができる守備要素と、僅かな留保すら叶わない軽快さ/驚くほどの軽やかさ、デイリーギアとして実践的なポケットの深さと完璧なポジションは、当時、多くの芸術家たちに愛され、作品制作時のみならず習慣的に着用されていたことから “ atelier coat ” として服飾史に刻まれるに至ったわけであります。
1950年代,フレンチワーカーのためにつくられた衣服というのは、希少性やらヴィンテージ的考慮を抜きにしましても、“本当に美しい仕立て” という見解は店頭でご説明させて頂いている通りで御座いまして、ダーツの入り方やらアームの振り方やらの実際的細部より, “着てなんぼの美しさ” という到達点も、店頭でご説明させていただいている通りであります。何も謂わず、先ずはどうぞお試しを下さい。と接客マニュアルが存在するならば第七章辺りに記載されていそうな文面ですが、特に、そう、コートに関しては。
しかしながらその絶大な魅力というのを必要最高峰の情報として頭の引き出しにそっと仕舞っておきながら、時にメゾンの強烈な美質にやられ、時に正統的気品に打ち負かされ、テクニカルトーンを放つ変態的個体にまんまと骨抜きにされ、そのようにして絶えず,重ねて,コートメモリという引き出しの容量は常にいっぱい。このような機会にメモリの奥から揺り起すに至るのはヴィンテージショップ一店主としては誠にお恥ずかしく、とはいえ心から有り難く、そのようなお話を先日お越し下さったお客様と相通じた時間というのもまた事実でありまして、兎にも角にも、素晴らしいわけであります。ミッドセンチュリー,1950年代、atelier coatというのは。余分な肉付きもなければ、余計な機能もない。ましてや当時、大変に稀少かつ高価であったリネンの占有率が高いコットン&リネンともなれば、私からは何も申し上げることは御座いません。接客マニュアル第七章を発動するわけであります。
このような機会に、感覚の揺り起しというのが決定的に行われたわけでありますが、そこに起因する理由の大部分が、謂わずもがな「Argile」で御座いました。カリーム氏が凝視する年代,ミッドセンチュリー,1950年代,フランス市民のための別称atelier coat。501bigeのレッグラインとまるで同じように備わる最高峰の“ノーマル”。マリ共和国の民間伝承を通過させることにより、天然色としての黒を手に入れただけでなく、完全的に浄化された風格というものは、“ 圧倒性 ” という言葉をもってしても程遠く、“ 超然的 ” という言葉でさえも手応えを感じず。そもそもこの会期に際して、私は「Argile」というプログラムに完全にやられてしまいまして、色調や視認できる個体性,独立性、完璧なる個性という要素のみでも十二分に魅力的なのですが、この色調というものは副次的産物にすぎない、と、(あくまで)わたくしは捉えておりまして、他クリエイションや、今現在のメゾンにおいてさえも確実に存在しえない「浄化」こそ、絶大な魅力であるように感取致します。氏の言葉を拝借するならば、それらは実際的に「生きており」、僭越ながら自身の言葉を置かせて頂きますと、「(限りなく)無垢な,衣服に,純化した」そのように憶うわけであります。故に、2つほど欲を謂わせていただくと、雑念なくフラットに向き合って頂きたいのです。そして触手を少しでも伸ばして頂けるならば、1点だけお好きな個体の袖を通して頂きたい。各作品にはブランドプレートや品質表示やらサイズ表記やらもなく、しかし購入する寸前まではKARIM HADJAB / argile / coat でありますが、手に入れていただいた瞬間にはそれらの情報というのは引き出しの奥底にそっと仕舞っていただき、例えばそれがatelier coatであれば「完璧な生活着」の実証とともに、ひとつの生命のように心から可愛がっていただき、末永く、恒久的に、愛情を注いでいただきたく存じます。誠に勝手ながら。
KARIM HADJAB , Argile , base : 50s Frenchwork cotton & linen atelier coat
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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初めて自分のものとして袖を通したその日はややばかり肌寒かったこともあってか “ なぜこんなにもふんわりとした温かさを感じるのだろう ” と瞬間的に想い、更に活動するうえで即座に “ 特出してなめらかな着心地 ” に気付き、極めて極めて驚かされました。発される体温を生地が, 糸がほど良くコーティングし、不快感皆無の温かみを保持してくれるこの感覚。骨格に併せて動きに併せて生地が滑りながらも心地良く付いてきて寄り添うこの感覚。 どこかで味わったことがあるぞ と記憶の引き出しを探ってみましたところ結びつきました。私が愛して止まないカシミアやシルクの感覚に。
マリにおいて伝統的な存在であり、日常に則した存在であり、様々な意味合いを有する染料としての泥。日本古来であり今や絶滅の危機に瀕している総天然藍染料と同じく科学的な要素を一切用いずに、気温の変化やそれに伴う微生物の作用によって採取した状態から “ 染料泥 ” へと変化するそれは、耐久性や快適性 ( 生活機能性 ) を目的に衣類を染め付けるだけに留まらず、アフリカにおいては胎児を守るために妊婦のお腹に塗られたりと、現実的であり複数の意味合いで有益であり、何より高尚な存在である染料泥。余談ですがヨーロッパにおいては高価なエステ材料として用いられるほどに肌に良い影響を与えてくれます。
“ 染料泥を塗布し・乾かし・洗い落とし・乾かす ” 全て手仕事によるこのプロセスを Argile クリエイションのほとんどの作品において7回、常に表情変化に配慮しながら行うことにより仕上げの洗いを経てもなお繊維の間にミクロで潜む染料泥の成分が前述のカシミアの如きシルクの如き心地良さの理由となります。
総天然要素による泥染めという文化はマリという土地だからこそ培われ、現存が叶いました。氏が “ 黒 ” を求め、呼応するように結実した Argile 。幾つかの氏のクリエイションの中でもなんと申しますか、決して 100 % 表現し切れている言葉ではございませんが “ 特出してダンディ ” な印象を私は抱いており、その充足感を胸に本日も着用しております。
旅にも連れて行きます。夏も着ます。と申しますか数か月前より Argile → 4Saison → 4Saison → Argile → Argile → Argile
→ 4Saison → Argile → 4Saison → 4Saison → Argile → 4Saison…と日々そんな感じです。
ダブルブレストのテーラードジャケットなどはいかがでしょうか?心の底から驚異的な熱量にて御推奨させて頂きたい一着です。背中がこれまたたまらなく、ボウモアロックが止まりませんこと、請け合い。
KARIM HADJAB , Argile , base : 50s Frenchwork double breaseted cotton tailored
なお、Argile は先々の如実な変化にも是非に御期待くださいませ。以下は私の一着でございまして、着用初日に雨風にどっぷりと晒されたこともあり即座に変化を感じさせてくれました。これまた背中がたまりませんでして、赤霧島ロックが止まりませんこと止まりませんこと。
SURR by LAILA 福留
03-5468-5966
[email protected]
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– Argile –
カリーム・アジャブ氏が今現在、最も心血を注いでいるクリエイションである「Argile」
先日御掲載頂いたThem magazine様の記事が、要を得た素晴らしい内容で御座いまして(というのも上からの文言に聞こえてしまい失礼かもしれないが)「Argile」の実相につきましても、とてもクリアに御掲載を頂いております。しつこいようで恐縮ですが、下記URLにてリンクをさせて頂きます。
【インタビュー】Karim Hadjab as《APRÉS》
カリーム氏と過ごした時間を咀嚼し、目の前にある1着に熟慮を寄せる、僭越ながらわたくしは、Argileというクリエイションに対する考え方や向き合い方、直感的なインスピレーション等等を超えた、コントロールの効かない “ 情 ” のような感情を抱きまして、なんとも感慨に打たれた次第であります。もし私が宝くじを当てたら、御興味くださる全てのお客様に KARIM HADJAB をプレゼントさせて頂きたいと思うほど皆様と共有したい感情、私も同様であります。(連番買いましたが、数字一文字すら当たらず)
北アフリカは死海に沈殿している泥。“ 衣類を染める ” もしくは “ 身体に塗布し洗い流すことで綺麗にする ” という実際的に護られてきたその死海の泥と目的性は、習熟した行いのように浸透している現地民の伝統的習慣、ある種類においての民間伝承、謂わば、フォークロア。水分量を多く含むその泥というのは、限りなく黒に近いセピア色、“極”天然染料で御座います。ここでいう “ 衣類を染める ” とは “ 伝統的なる黒染め ” に値します。泥を衣服に塗布し、天然色としての黒を浸透させていくわけであります。カリーム氏のクリエイション「Argile」においては、この死海の泥を用いるわけでありまして、その過程において、あるいは事前段階において「草木染め」という行程を踏み、自然界より抽出した天然染料を栄養素のように衣服に注ぎ込み、黒染めが実行され、草木染料,泥の浸透具合や浸透箇所、天候や湿度の差異、様々な自然的要素/不規則的環境,状況により、完璧なる「個体色」を獲得するわけですが、視覚的には、ダークトーンのオリーブベースや、慣用色には名を持たない匿名的なカーキ色、濃密なミルクカラー、そして全体が広域かつニュートラルに濃縮された黒(確認できているのは1点)。それらには近しい3種の絵の具をドラマティックに混ぜたような濃密とも謂える深いコク、そして、あたたかな温度があります。近しいカラートーンが並んだとて全くを持った「同色」という完全性はなく,むしろ比較性を超え、完璧なる「個性」というものが保存された独立色。
何よりも美しいのが、それらに映える “ 色彩としての黒 ” で御座いまして、襟やラペル,袖口に静謐な表情で佇む黒、既成ルールなど無視、リバースして着用した際のあまりにも美しい対比色は、 “ 天然色としての黒 ” の強烈な存在感というものをノンフィクションで感取致します。その様というのは、造形が見事な額縁に収めてすらも成立するであろう美術的視点と、無垢な衣服としての機能が、完璧に近いほど共存していると、拙い言葉/言葉で恐縮ながら感慨に打たれたわけであります。
“ 身体に塗布し洗い流すことで綺麗にする ”
氏は、その意味性や言葉を超えたカルチュアに対する絶対的な敬い、あるいは限りなく深い尊敬、賛美すら抱いております。 “この泥を用いて” “衣服を染色することで” “綺麗にする” 。視覚的美しさや、完璧なまでのアイデンティティを認めること以上に、文化への誠実な敬意と、アナロジーではない力強い実相、概念性を遥かに超えた “ 衣服を綺麗にする ” という美徳、それらは自然的回帰の顕れのように感じますし、ある種類においての「衣服の純化」にすら感じます。実際的な意味でも、概念的浄化であったとしましても『 時を経た洋服は、まさに人間のように生きている 』という氏の無垢な想いに添う行いであり、ひとりの男性の憶いであり、何より衣服に対する不可侵なほどの敬意と愛情を感取するからこそ、これから先はおそらく、この1着を連れ添うことになるだろうと、宿命的なナニカと同時にコントロールの効かない “ 情 ” のようなナニカを深い部分で受け取るのだろうと、拙い言葉/言葉で恐縮ながら、やはり感慨に打たれたわけであります。
KARIM HADJAB “ Argile ”
1950年代の美しき個体をベースとした境地。品質表示,サイズ表記/サイズ展開はおろか、ネームプレートも御座いません。どのベクトルでどのように向き合おうと、どのアイテムで絞ろうと、どのような精選法を用いようとも、どのようにお選びになられましても、どのようなスタイルで着用されましても正解で御座います。
そして、オーナーとしてたっぷりと愛情を注げるような1着、そんな出逢いと成り得ましたら。僭越ながら、我々としましても至極幸福に尽きる想いであります。
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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