つい先日に過去6年間の社歴を振り返る必要がありましたので、様々な記憶と感情が錯綜しました。元々設立のきっかけが一個人が勝手に日本に存在しない感じた概念と文化を根付かせたいという想いであり、その現在進行形で変わらぬ想いを軸に服飾に関わる社会における ( いまだ分からないことだらけですので、あくまで自身の体感とそれに基づく推測ですが ) 慣習や風習, それら傾向, 予定調和や空気的なしきたりなどの優先順位を意識的に低くする, 意図的に排除する, と申しますか不要に想う考えを有しているがゆえ、いまだ私の親や兄弟は私がなにを生業としているか皆目見当が付かないように弊社はほとんどの方に知られていない、本当に まだまだ な小さな会社ですが、服飾に関わる社会における小さな会社として精一杯取り組んできたかと問われたら食い気味に “ はい ” ですので、今となって過去6年間を振り返ってみても濃密だったと申しますか、今となって考えても本当に類まれなる御縁によって類まれなる方々と触れ合い, 取り組ませて頂けてきているな と素直に想えますし、その中でも Karim Hadjab は誤解を恐れずに申し上げますと様々な意味合いにおいて 浮いているな と想いました。
私には両親以外にファッションデザイナーで 3 人、芸術家で 3 人、音楽家で 1 組。計 9 人の心から尊敬する人物がおります。もちろんまだお逢いしたことが無い方もおられますが、基本的に人柄にしっかりと触れ合ったうえで心の尊敬引き出しにしまうのですが、中には 10 年以上前にしまった方もいれば昨年しまった方もおりまして、それこそ一人が Karim Hadjab 。2018年5月のことです。
彼ほど純真無垢な人物, そして表現における推進力を有した人物は本当に貴重だ と社歴を振り返っていて改めて想いました。服を放置するという行為は何度御客様に御説明していても口にしていて不思議な気持ちになりますし、愛用して幾年経ってもそれらはやはり誤解を恐れずに申し上げますと社会的な ( 大して知りもできておりませんが ) 存在感として異質な, まともではない作品群であると想うと同時に、だからこそ彼という人物が貴重であると心から想います。初めて自身の一着である 4Saisons のテーラードジャケットを手にしてから 5 年経ち、短いとは言え私自身にも心身ともに変化が少なからずあったのですが、必殺の一言 “ 付け髭です ” を会得した今でなおそのジャケットを着た時に想うのは “ 5 年前より今の方が似合っている ” という幸せな感情でして、それこそカリームからすれば 服は生きている なのでしょうが、私からすれば単純かつ無垢に 良い服だ という感想です。私はいくら服に出逢ってもどんな経験をしても想うのですが、上質な組成の品や理念や感性はいくら時を経ても色褪せるどころか輝きが増し、こと服飾に関しては身に着ける人の様々をさりげなく押し上げてくれるような存在であり、良いか否かは言葉も知識も必要がないそれこそ感性のみに基づくことができると。
なお、上記の紐付けに際しまして “ Karimへの想い / Diary540 ” は接続詞や単語を一部改正致しております。私は過去に行った事柄に時を経てから部分的な改正を加えることや時を経て改めて行うことに対して前向きでして、その考えは前述の 9 人のうちの 2 人である電気グルーヴから学ばせて頂きました。
SURR by LAILA 福留
03-5468-5966
[email protected]
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約2年と数ヶ月前にご紹介させて頂いた本作という事は約2年と数ヶ月の間、弊店空間の何処かで息を潜めているという事ですが、服飾に対する動物的嗅覚理論が正しければ動物的方々のアンテナに反応し得る個体ではないという紛れも無い事実はソッと置いておいて、息を潜めて何方様の御迎えをジッと待ち続ける御品は本作に限らず、上記事実の他にあとひとつ付け加えるならば、そういった品々が脚光を浴びてから時の経過と共に恐ろしく馴染んで往く光景,それはまるで纏う生命エネルギーや活気を自ら取り除き、存在性を消し、空間の一部であり全部となる擬態化現象を察知致します。そうか、おまえもキャラクターと成ったか。がしかし、だからこそ、悲しむべき事柄ではなく対象品々に対して謂えば其のままジッと待てば良いと心底想いますが、擬態化現象から解放される瞬間というのは謂わずもがな、温かな御手に触れて頂けた時で御座います。袖を通し、姿見越しに自らを映して頂けた時で御座います。息を吹き返したように本来的な資質がカラフルに色付く様子を捉えますと、決して失われない純真かつ絶大な強さに、都度、心酔致しております。だからこそヴィンテージは、
服飾に対する動物的嗅覚理論が正しければ動物的方々のアンテナに反応し得る個体ではない事実が揺るがないものだとしましても、本作に限ってはそもそも時流に添い続ける健気さもなければ、女性に愛されるシンボル性もなく、英国他社の広告力に隠れ、ファッションストリームから離れた場所を動かず、いつの時代も表舞台で脚光を浴びる日は来ないのだろうと此の様な機会の度、長考に帰しております。以上は紛れも無い事実かもしれませんし私の野暮な想像かもしれませんし、がしかし、いずれにせよ、いえだからこそ、本作に対して謂えば触れて頂ける温かな手をジッと待てば良いと心底想いますし、貴重なお時間を頂戴し弊店へ足を御運び下さる皆様はこゝろの琴線に触れて頂けた際にはじっくり御考察頂けましたら引き続き光栄に想いますし、本作と世界との隔たりが如何に巨大なものだったとしましても、決して悲しむべき事柄ではないと想いますのは天の邪鬼かつサイケデリックな性格故で御座いますし、研ぎ澄まされた個性を希求し続ける漢の性で御座いますし、“コットンジャケット” と “ポケット” をこよなく愛する私の高熱なわがままで御座います。そもそもとして、
弊店の総意で御座いますが、もしくは意思で御座いますし、主我で御座いますが、1924年から歩みを続けるBelstaff社に対する評価はとても大きく、あるいは服飾史を彩るメゾンハウスと全くを以て同じく、それは服飾史を支える重心部分,限定性や狭き目的性、総じて専門衣料の存在と発達は男性世界ゆえの色香であり、特有の引力が御座います。表舞台で輝くファッションシーンの形成因子を担ってきた紳士区分、声のボリュームを上げますが、Belstaff社の功績と軌跡と姿勢に対しては、恭敬の意を置かせて頂いております。
2016,3,26【素直になれ、自分 / Diary244】
トライアルレースの更新記録に挑むプロレーサーへ向けた製作事実と本作【トライアルマスター】の名ナンバー。防風と防水を実現するオイルドコットン、転倒時にも身体を護るエルボパッチ、運針強度、操縦時の快適性を目的としたアームフォルム。英国王室直属軍への納入品製造を請け負っていた時代と一致する60-70年代。以上が恒久性をもって名作と残り続ける事実詳細と憶いますが、弊店において誠に恐縮ながら特段立派な金額を設定させて頂いている本作は【パーソナルオーダー】成るオプションと個体偉力に尽きる事実追加、通常、前方4フラップポケットが定石のデザイングでありますが背面2カ所に追加オーダーされた計6カ所のコンパートメントは当時の注文主(ブリティッシュ・レーサー)によるオフィシャルオーダーであった事実痕跡で御座いますゆえ、大変リッチな金額と相成りますのは企業努力の足りなさと謂いますか、同社への心酔に尽きる評価と謂いますか。Belstaff社の刮目すべき躍動年代に製造された傑作に加わる世界唯一の御品という偽りのない情報はそっと引き出しに仕舞って下さいと常の文句も謂いきれない心情ながら、結局のところ染み渡ったワックスが風化していく様とコットンの発育性、木綿裏地の見事な配色美、ポケットは在れば在るだけ良いという単純明快なロジックを叶える収納席には例によって文庫本が入りますのでこれ以上の筆舌もなく、もしかしますと時流に添い続ける健気さもなければ、女性に愛されるシンボル性もなく、英国他社の広告力に隠れ、ファッションストリームから離れた場所を動かず、いつの時代も表舞台で脚光を浴びる日は来ないかもしれない本作トライアルマスターで御座いますが、がしかし、いずれにせよ、いえだからこそ、本作と世界との隔たりが如何に巨大なものだったとしましても、暑かろうが寒かろうが常に店内何処かで置かせて頂いている本作であり、此の様な機会に一度温かな御手で触れて頂けましたら心の底より光栄に想いますし、同社ハウスプレートの翼に込められた “ いかなる時代も困難を乗り越えて飛び続ける ” 意味性をソッと御査収頂きまして、皆様、改めて宜しくお願い申し上げます。
1960-70s Belstaff model “TRIALMASTER” , Pro – rider’s custom order jacket
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
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KARIM HADJABについて意は尽くされたように感じているのも正直なところで、これ以上何を御伝えすれば宜しいかわからない気持ちも正直に明かしますが、Karim Hadjab氏が表現するKARIM HADJABについて理解する事と感じる事は恐らくイコールでは結べず、自然環境下へ1年間野ざらしにしたとしても、黒泥で染め上げたとしても、クリエイションの発露や過程や運びや収穫へ絶大な理解を得れたところで其の先へは辿り着けないような深さを感じるのはKarim Hadjab氏の感覚が日々更新されているような気配と、実際的という言葉に勝る概念的性質があまりにも強烈だからか、そうはいっても偏に【ブランド】を司る【デザイナー】としてのメッセージ性は皆無で、結局のところ彼は只一向な【表現者】であり表現者による【表現】であり、人生の半分を越えた一人の男性であり、我々はクリエイションを獲た1着から温かな何かを掬い取れなければ “ 完璧な個 ” として対面するには不足で “ 善 ” まで及ばず、そして出来うる限り深いところへ往こうとする試みはKarim Hadjab氏が表現するKARIM HADJABを買わせて頂く弊店として宿命のように入り込まねばならない拘束性ではなく、何かこう、「ヒト と 服」のようで、様々な情報やファッション的感覚によって肉付けされない無垢物のような、根底的で、本質的という事ではなく、決然としたヒトとの絆のようで、いえむしろ「服 と ヒト」のようで、あるいはファインジュエリーにも相通じる人生的マテリアルなのだろうと心を鷲掴みにされた熱は、約3年の間も色あせることなく温度を保っているという事です。となるとやはり未だ未だで御座いまして、未だ未だ意は尽くされておらず、感じた何かを御伝えし続けなければなりません。
さらに謂うと(個人的な感取ですが)クリエイションの発露や過程や運びや収穫への理解はファーストシーズンの際にそっと置いてきまして、こういう御伝えの仕方は会社に属する人間として良くはないと知りながら、KARIM HADJABの名やクリエイションやどのような時間を経た1着であるかは副次的情報として引き出しに仕舞って頂き、純真な衣服として長期的関係性を築いて頂きたい想いも、約3年過ぎようと少しも変わりません。それほど生命力に満ちた衣服と想います。只一向な表現者であり人生の半分を越えた一人の男性が,Karim Hadjabという感性が美しいと憶う事柄を信頼でき、到達できない距離を感じ、心に温かい何かを感じる説得力は、衣服に対する揺るがないほど強固な “ 愛 ” が、Karim Hadjabという男性にはあるのだと、わたくしも人生の三分の一へ向かう一人の男性として想いを寄せております。
また本日に加え、Diary539〜546番の連続8回に渡ってじっくりと綴らせて頂いた昨年の梅雨時でしたが、昨年Them MAGAZINE様のKarim Hadjab氏へのインタビュー記事における結びの16行に、すべてが凝縮しているように憶えるので、改めて引用させて頂きたいと思います。
これまでずっと、Karimはファッション業界におけるインダストリアルな性質から逃れようとしてきた。その考え自体は、「Tokyoite」を運営していた時代よりもっと以前の、彼が生まれ育った環境にも紐付いている。Karimが育った地域にはアフリカからの移民が多く住み、劣悪な労働条件の工場で働いていた。そんな環境に身を置いていた幼きKarimは、生地工場や縫製工場など工業的なシステムに疑問を持って育った。それが「服を新たに生産する立場ではなく、道にある服を拾って、あるいは見つけてきて、それと向き合う」という彼のスタイルに根付いているのだ。ベースとなっているヴィンテージの既製服は、いわゆるメゾンのような高級なブランド品ではなく、もっと安価なものだという。捨てられてしまう美しくない服でも、泥で洗い草木染めを施すことで、美しいものへ変貌させることができる。価値のないものに新しく価値を吹き込むそのクリエイションは、リサイクルという観点でゴミの多い消費社会へのアンチテーゼにもなっている。
「多くの既製服は、機械で生地を生産し、流れ作業で縫製され、終始インダストリアルな環境で完成し箱に詰められて売り場に送られてしまう。そのような作り手の心の通っていない服作りはとても嫌なんだ。着て美しいだけの服には興味がない。私の服はいつも着る人に寄り添い、風に揺られて、鳥の声を聞いて、たまには雨にさらされて。そのようなあり方がとても大事なんだ」
ところでr1950年代〜1960年代ミッドセンチュリーに呼吸をしていた「Waiter jacket」御存知でしょうか。当時レストラン等で給仕をするギャルソンが好んで着ていた通称ウェイタージャケットは、年代や製造ハウスによってばらつきはあるものの、浅めのダブルブレストに集合的な4つ釦、フラップを入れ込んだようなポケットの形式に(御釣りやチップの出し入れをスムースに行う)主張性のないピークドラペル、運動性と気品を守る緩やかなアームの前振り、木綿構成のテーラードスタイル。以上のマテリアルを具したコットンテーラードがあまりにも、そう,あまりにも優秀なもので、足を御運び下さった皆様へ広く広くご紹介をさせて頂いております。ミッドセンチュリー傑作のひとつです。おそらく打ち込みも密がない綿生地と謂いますか、しかしながら振るうと恐ろしいほど濃厚な音を奏でるものですので音方式で参りますと勝手ながら天然木綿の上澄みとして判断をさせて頂いております、が、ゆえにと謂いますか、これも真実のひとつとして御査収頂きたいのですが、先ずは半年程サイクル良くお召し頂くと、掴んだり着たり脱いだり触ったりもう一度掴んだりの連続によってか、しっとりと蜜を吸わせたようなテクスチャーを獲得して参ります。艶艶しいというか瑞々しいというか。活性されるいうか。どう考えても “しっとり” で御座います。これはKARIM HADJABのクリエイション上の特性かベース個体の木綿性質かは不明で、身体の油分や湿気による生地昇華と憶い、水で洗うとガサッに戻ります。そして迎える木綿の軽やかさと強さと機動力は丸めてcarry a jacket出来るうえ、芯もパッティングもないアンコンストラクテッドの構成ながらダブルにピークドラペルの能力は島国を出られる際にも存分に魅せて頂ける事と存じますのでトラベルジャケットとしてご年齢問わず推奨をさせて頂いております。そのようなわけでご用意させて頂いているホワイトピンクとオリーブ、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
KARIM HADJAB “4Saison” base,1950s cotton tailored jacket
KARIM HADJAB “Argile” base,1960s cotton tailored jacket
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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