弊店の空間特性の一つに “ 異常に降り注ぐ日差し ” がございます。それはカウンターに電子機器を置いておくと熱暴走を起こし冬場でも汗ばみ、 反射で店内の御査収に支障をきたすほどですが気持ちと身体は明快でやはり日差しを浴びると単純に心地良いものですから利点と欠点を天秤にかけたうえで私はその環境を愛して止みませんが、それらを浴びながら夢想にふけるとふと一着のコートとの出逢いが想い出されます。縁あって初めて辿り着いたそこは国境のほど近くにある全体が緩やかな丘状となった土地で、高い建物が一切ない替わりに閉館してだいぶ経っているであろう遊戯場や映画館などの廃墟が点在する小さな小さな港町でして、その日は非情に冷たい海風と異常に降り注ぐ日差しと緩やかな地形が相まって、不自然なほどに大きく感じた今にも落ちてきそうな空の下で得た敗北感という名の貴重な体験と、唯一出逢えた一着のコートがこの度の題目です。
皆様方と同じく私もこの生業において、自分なりに精一杯の挑戦と精査を意識し日夜取り組んでおります。何かを続けようとすると様々な場面や状況において “ 停滞する ” ことがあり、その一つに鮮度ないし感度が当てはまるのですが、私はその点における停滞に対して極めて強い危機感ともっと言ってしまえば嫌悪感すら感じるがゆえ、以前であれば定期的に髪を紫色や黄金色に染めて気分を変えたり、現在においても折に触れては普段と異なる道中で帰宅したりタワーレコードに足を運んだり、もちろん自身のための買い物を行ったりで必死に鮮度ないし感度を停滞させないよう足掻いているのですが、それは店という空間を創るうえでより顕著でして、そのためにできる大きな要素の一つに “ 新たな出逢いの模索 ” がございます。それは様々な事柄と利便性が発展した現代においても私にとって極めて大きな危険性を有し、だからこそ掛け替えのない取り組みでして、挑戦するイコール大なり小なりの金銭と時間を費やすこととなりますのでそれによって得られる ( 人なのか品なのか可能性なのか ) 収穫の量と質によってはっきりとした結果が現れます。私にとっての新たな出逢いを模索する挑戦は、充足感もしくは敗北感で満ち溢れる残酷なほどにはっきりとした二択です。
その港町でははっきりとした敗北感で満ち溢れました。挑戦は失敗に終わり失意のまま彷徨い歩くことも叶わないほどに小さな街で、出来事といえば少年たちに場所を尋ねられるというくらいだったのですが、ふと引き寄せられて立ち寄ったいわゆる街の小さな雑貨店で一着のコートと出逢うことができまして、それは値札の付いた品ではなく店主の夫である老紳士の持ち物だったのですが、無理を承知でお願いした結果譲り受けることができたのは海風にさらされつくした敗北感に満ち溢れる怪しい風体であったのと、出逢いを願い続けた ( 今でも願い続けています ) 私が知る限りで現存最古期の Burberrys コートゆえの必死さが要因だったのでしょう。
修練の形跡をしとどに感じさせる肉厚ながら柔軟性に富んだ羊毛表情や、同社が後々手掛けることとなった英国王室直属空軍のコートと偶然なのか必然なのか同一な青みがかった特殊な灰色や、男性としての威厳を具現化した各所装飾性や高い腰位置など、文化と歴史に向き合ってきた同社ならではの構築性かつ、現存最古期という要素を差し引いて語ったとて心から御推奨したいと想える一着の服としての純粋な個の力に出逢えたことは、今にも落ちてきそうな空の下で感じた敗北感における真に唯一の救いではありますが、いくら挑戦が大切とはいえこの出逢いは砂漠の中から一粒のダイヤモンドを探し当てるよりも低い確率であり、なにより後にその雑貨店が廃業してしまったため私はその港町に再び足を運ぶことはありません。
恥も外聞もなく申し上げますと敗北感は他にも数多経験しておりますが、初めて綴らせて頂いたのは私にとって遠く離れた SURR にいても時たま記憶が蘇るほどに特殊な出逢いの、例えば真夏であっても “ 今御認め頂いて間違いございません ” と全力で胸を張れるほどに純真無垢な個の力を有した一着のコートであるがゆえです。
とても綺麗な海で本当に本当に大きな空でした。あの少年たちは目的地に辿り着くことができたのかな?
SURR by LAILA 福留
03-5468-5966
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アンティークという区分が ようこそ と誘う牡としての達成本能を万遍なく刺激する麻薬のような男の世界には他にも、その時代 “ ならでは ” の構築性という要素がございまして、昨年と一昨年にそれぞれ一着のみ御紹介させて頂いた今回の種別はその代表格の一つと言えるのですが、それもまた数多の出逢いがあるアンティークという区分でありながら実際に選べる機会はほぼ皆無に近しく、それにはその種別特有の判断基準がありそもそもそれ自身の現存数が極端に少ないという現実があったとて、正直に申し上げまして生産性が極めて低い取り組みであることを自覚しておりますし、より正直に身も蓋もなく申し上げますと手前どもの生業そのものの生産性が低いことにも当の昔に気付いておりますが、私はそこにヴィンテージという, アンティークという蓋があれば必ずどこかに御客様という身があると確証無く信じる性質であり、生産性が低いからこその気高さを皆様方の御陰様で知ることができましたのでこれを自分の業であり勝手ながら宿命と捉えておりまして、生産性が低いことによって産まれる “ 飢え ” を前向きな原動力として、飢えて飢えて飢えた末に逸品と出逢えるという実体験によって 飢えなきゃ勝てない という教訓を得たことは私の人生における大きな財産の一つです。
飢えて飢えて飢えた末に出逢えたのは世界最古の百貨店 Bell Jardiniere におけるビスポークのダスターコートとなればそれはもう飢え甲斐があったというものでして、これまでに出逢ってきたダスターコートが薄手であったのに対して本品はしっかりとした生地感であったり、だからこそのこれまた容赦のない繊細で綿密な仕立てであったりという特性が存分に秘められておりまして、そもそもダスターコートは書いて字の如く埃除けを目的としており、蒸気自動車からガソリン自動車へ産業が移り変わるおおよそ 1920 年代頃におおむね不要と見なされた歴史の過程で消え去った種別の衣類の一つであり、稀に出逢えたとて埃除けという目的性ゆえに現存していても現実的ではない状況に辿り着いてしまっている品がほとんどですので、着用の形跡が見られない, 確定する術がありませんので推測の域を出ませんが未着用と思わしき状況で出逢えたことはやはり幸運なのですが、最古の百貨店である点やダスターコートという種別の希少性を差し引いて論じたとて、純粋に一着の服として魅力的であると素直に想えることが何よりの幸運でして、蒸気自動車のほとんどに屋根がなかったため全身を覆う必要があったからこその容赦ないほどに長い着丈の出で立ちと、これまた容赦なく重なる前立てを開いた際の表情と、ビスポークかつしっかりとした生地ならではの肩への乗り具合と肩口の包み具合による心地良い寄り添いと、アンティークだからこその素朴かつ上質な生地の美しさからなる個, ただ羽織ることで表現されるその強さは、いわゆるロングコートの類でありながら他に類似がない一着として御認め頂いてしかるべきに想います。
1920s France Duster coat by Bell Jardiniere
なお本品に付随しますボタンは全てオリジナルではございませんことを先に申し上げさせて頂きます。出逢った時既に皆無でしたので、手前どもが所有します 1920 年代から 50 年代のボタンを無作為に 12 個配置致しました。イギリスの王室直属管轄品や古きフランス軍など、これぞな個体のために収集していたボタンとなりますので、このような形で再び活躍の日の目に至り嬉しいです。洋服は着るための、ボタンは留めるための存在。そしてビールは美味しい存在。
SURR by LAILA 福留
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