不定期的ながら SURR において欠かせない要素の一つとして御提案してまいりました、トム・フォード氏の手掛けた Gucci は、モードの歴史や服飾史や文化などの様々な要素を咀嚼し、独自に解釈したうえでの Gucci という入れ物において表現するその創造力と実行力が、それはもう言葉では語りきることのできない、どんなに言葉を重ねても足りないであろうほどに豊かで秀逸なクリエイションです。
これまでに御提案してまいりました品々はどれも傑作ばかりで、どれも私の頭の中のアーカイヴ・ルームにしっかりと貯蔵されておりますが、この度の御用意が叶いました氏の Gucci クリエイションにおける最終期の一着は、ついに傑作から怪作のフィールドへ。
こちらにおいて抽出された文化は、一も二もなくウエスタン・カルチャー。これもまた、モードの歴史においても今においても欠かさず取り上げられる文化の一つではありますが、その濃度計の目盛りを最上限に設定する決断力が、同じ一人の漢として悔しくなるほどに流石であり、それをモードとして, もとい Gucci として成り立たせる創造力と実行力にはやはり感服せずにはいられず、要するに “ 悔し ( くなるほど格好良 ) い一着 ” と言えるのが本品となります。
世界中の人々に旅や移動という豊かさをもたらしたルイヴィトンやゴヤールなどが最初期にお手本としていた古い時代の水夫の服。素朴で朴訥であるからこそ上質で、どこか不器用な愛嬌を備えるどっしりとしたそれを連想させる無垢なキャンバス素材と、お手本となったウエスタン・カルチャーのリアルさと共通項を感じさせつつ、しっかりと色気を備えるヌバックとのマリアージュはもちろん、パール・テクスチャーのスナップボタンにまで及ぶ徹底した各所再現と再解釈の表現力に、じっくりと時間をかけた対話をしたくならざるを得ない一着です。
early 00s Gucci by Tom Ford
様々な要素が織り交ざって、私見としましては “ 強い服 ” と感じます。だからこそ、自身の個を彩る要素としてこれもまた極上かつ最上位に御推奨したい一着であり、何より、長い時間をかけて積み重ねられた服飾史 ( もちろんモードも含む ) を受け止めて生み出された一着は、これからの服飾史においても綿々と受け継がれてゆくべき一着だと思うからこそ、こちらを御提案できることが喜ばしくてなりません。
SURR by LAILA 福留
03-5468-5966
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フルブローグの一足、そして一つの編集点と昨期から一層に強く御推奨させて頂いております英国靴。ドレスシューズにおいて不動の存在価値と絶対的な品質基準によって、やはりなかなかどうしてセレクションが容易ではない区分でして、今期も数足のみという相も変わらず傍から見たらやる気に疑問を感じえずにはいられないような御用意と相成りましたが、御理解と御容赦を頂戴出来ますとこれ幸い。
だからこそ、私の勝手な基準点に基づく皆様にご紹介したいと思える英国靴に出逢えた暁にはやはり受ける感銘の濃度が高く、そして、そのスタイル性と履くことで感じる熱量も圧倒的です。
御愛顧くださる皆様のために、そして陰ながら私自身のために常に頭の片隅で探し求めていながらも、探し物に限って見つからないメソッドよろしく願いの届かないジョージブーツ。私自身の一足、いずこに。
“ ベージュのドレスシューズ ” という表現はおそらく初めてかと思います。英国靴の最高峰の一つが仕掛ける強さと優しさと色気の具現。
私にとって John Lobb と肩を並べる英国靴最高峰の一つが Edward Green 。革の質とそれに伴う表情、各所の仕上げ、モデルによって異なるスタイルの方向性と履きこなしのベクトルなど、全ては職人の技術力が注がれているからと、実物を見て直感し履いて実感させてくれる稀有な存在です。今回出逢うことが出来、弊社 2017AW LOOKBOOK にも掲載採用された一足はドレスシューズにおいての代名詞スタイルであり、ゆえになかなか御紹介が叶わないストレートチップ。 数ある職人技術の中でも特に難しく、更に品質水準が高くなくては実現できない一枚革仕様のアッパーが醸し出す、研ぎ澄まされ過ぎているエレガンス。その無機質なまでの品と相対する、屈強で繊細な3本ステッチの装飾機能美。革靴において “ 触れれば切れてしまいそう ” な存在感を感じる機会は、私にとって滅多にございません。
90s Edward Green
とは言え、まず最も強く御紹介したいのは英国靴ならではの履き心地の良さと、耐久性の高さ。履き心地に関しましては足の形状とその一足との相性がありますので一概には言えませんが、私の実体験としては、Edward Green と John Lobb が頭一つ抜きん出ておりまして、職人技術には相応の対価を用意する価値があると改めて想う次第です。
お人によっては年を重ねると革靴が辛くなるとおっしゃる方もおられますが、先日街中で仲代 達矢さんに良く似た老齢の紳士が上質であろう革靴を美しく履いて美しく歩く姿を目にしたことで、引き続き革靴を履ける骨格形成を強く御推奨しようと心に誓いました。その紳士を目にしたことは、直近において特に目の保養となった瞬間でして、その直後に謎の老人に軽く追われるという謎の恐怖体験を経てもなお消えない喜ばしい記憶として、渋谷って怖ぇという体験と共に心に刻まれています。
SURR by LAILA 福留
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「everything’s a metaphor / 世界の万物はメタファーである」
ゲーテはそう唱えましたが、世に実在するあらゆるモノは、隠喩的存在,または曖昧なモノ,若しくは留まらない流動性など表した説。10代の頃はこの一説に対して否定的な見解のみを攻撃的に持ち合わせていましたが、20代中頃になりますといつの間にやらしっかりと心中に結びついておりました。それをヒトは「成長」と呼び、かたや「頭がおかしい」と謂うのでしょう。
道中の脇に生えている1本の木、それをみた彼は直入に「ただの木である」と思い、一方で彼女は「辺りには友達や家族がいない寂しそうな木である」と脇目に見ながら思う。その木の真実は「ただの木」であり、「辺りには友達や家族がいない寂しそうな木」であり、植物学上は「樹皮に猛毒をもった世界一危険なトウダイグサ科の樹木」であります。そしてその木も世界の万物の片鱗であるならば、メタフォリカルな木でありましょう。「世界の万物はメタファーである」とは、人によって、モノ/コトを見るためのレンズが異なっていることが前提として成り立つ理論である、ということに20代中頃で考えていたわたくしの真実は「頭がおかしい」ボックスの中に収まりそうです。
1着のライダースジャケットを目の前に、A氏は「いなたいレザージャケット」と謂い、B氏は「このカスタム、やばい」と謂う。その光景を遠目からみていたC氏は「美しいバーミリオンオレンジだ」と謂う。このライダースジャケットの真実は「1970年代アメリカの都心から離れたとある地で、バイカー乗りが大事に着用していた証を背面で理解できる1着のライダースジャケット」でありますが、あくまでこの真実もメタファーの顕れであり、固定性のない一例でしょうか。本当の真実は「いなたいレザージャケット」であり、「カスタムがやばいジャケット」であり「美しいバーミリオンオレンジ」でしょう。世界からみれば、この1着の真実など無数に存在するメタフォリカルなシンボルであると同時に、ファジーな個体でしかない,万物の片鱗に過ぎないのかもしれません。
因にわたくしは「シャツにトラウザーにストレートチップ。男性が正しい場で着用する一張羅」と謂います。
これも、そう、メタファーに過ぎませんが。
70s U.S vintage real riders jacket “ personal custom piece ”
とはいえ、シャツにトラウザーにストレートチップを揃えておきながら、バーミリオンオレンジ色のカスタムライダースジャケットのみを一張羅とし所有している紳士も、世の中に少なくとも“ひとり”は実在すると思うのです。世界の万物がメタファーであろうがなかろうが、夢は常にもって参りたいもの。おそらくその紳士、周辺の方には「頭がおかしい」ボックスの中に収められていると思いますが。
それでいいのです。
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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