KARIM HADJABについて意は尽くされたように感じているのも正直なところで、これ以上何を御伝えすれば宜しいかわからない気持ちも正直に明かしますが、Karim Hadjab氏が表現するKARIM HADJABについて理解する事と感じる事は恐らくイコールでは結べず、自然環境下へ1年間野ざらしにしたとしても、黒泥で染め上げたとしても、クリエイションの発露や過程や運びや収穫へ絶大な理解を得れたところで其の先へは辿り着けないような深さを感じるのはKarim Hadjab氏の感覚が日々更新されているような気配と、実際的という言葉に勝る概念的性質があまりにも強烈だからか、そうはいっても偏に【ブランド】を司る【デザイナー】としてのメッセージ性は皆無で、結局のところ彼は只一向な【表現者】であり表現者による【表現】であり、人生の半分を越えた一人の男性であり、我々はクリエイションを獲た1着から温かな何かを掬い取れなければ “ 完璧な個 ” として対面するには不足で “ 善 ” まで及ばず、そして出来うる限り深いところへ往こうとする試みはKarim Hadjab氏が表現するKARIM HADJABを買わせて頂く弊店として宿命のように入り込まねばならない拘束性ではなく、何かこう、「ヒト と 服」のようで、様々な情報やファッション的感覚によって肉付けされない無垢物のような、根底的で、本質的という事ではなく、決然としたヒトとの絆のようで、いえむしろ「服 と ヒト」のようで、あるいはファインジュエリーにも相通じる人生的マテリアルなのだろうと心を鷲掴みにされた熱は、約3年の間も色あせることなく温度を保っているという事です。となるとやはり未だ未だで御座いまして、未だ未だ意は尽くされておらず、感じた何かを御伝えし続けなければなりません。
さらに謂うと(個人的な感取ですが)クリエイションの発露や過程や運びや収穫への理解はファーストシーズンの際にそっと置いてきまして、こういう御伝えの仕方は会社に属する人間として良くはないと知りながら、KARIM HADJABの名やクリエイションやどのような時間を経た1着であるかは副次的情報として引き出しに仕舞って頂き、純真な衣服として長期的関係性を築いて頂きたい想いも、約3年過ぎようと少しも変わりません。それほど生命力に満ちた衣服と想います。只一向な表現者であり人生の半分を越えた一人の男性が,Karim Hadjabという感性が美しいと憶う事柄を信頼でき、到達できない距離を感じ、心に温かい何かを感じる説得力は、衣服に対する揺るがないほど強固な “ 愛 ” が、Karim Hadjabという男性にはあるのだと、わたくしも人生の三分の一へ向かう一人の男性として想いを寄せております。
また本日に加え、Diary539〜546番の連続8回に渡ってじっくりと綴らせて頂いた昨年の梅雨時でしたが、昨年Them MAGAZINE様のKarim Hadjab氏へのインタビュー記事における結びの16行に、すべてが凝縮しているように憶えるので、改めて引用させて頂きたいと思います。
これまでずっと、Karimはファッション業界におけるインダストリアルな性質から逃れようとしてきた。その考え自体は、「Tokyoite」を運営していた時代よりもっと以前の、彼が生まれ育った環境にも紐付いている。Karimが育った地域にはアフリカからの移民が多く住み、劣悪な労働条件の工場で働いていた。そんな環境に身を置いていた幼きKarimは、生地工場や縫製工場など工業的なシステムに疑問を持って育った。それが「服を新たに生産する立場ではなく、道にある服を拾って、あるいは見つけてきて、それと向き合う」という彼のスタイルに根付いているのだ。ベースとなっているヴィンテージの既製服は、いわゆるメゾンのような高級なブランド品ではなく、もっと安価なものだという。捨てられてしまう美しくない服でも、泥で洗い草木染めを施すことで、美しいものへ変貌させることができる。価値のないものに新しく価値を吹き込むそのクリエイションは、リサイクルという観点でゴミの多い消費社会へのアンチテーゼにもなっている。
 「多くの既製服は、機械で生地を生産し、流れ作業で縫製され、終始インダストリアルな環境で完成し箱に詰められて売り場に送られてしまう。そのような作り手の心の通っていない服作りはとても嫌なんだ。着て美しいだけの服には興味がない。私の服はいつも着る人に寄り添い、風に揺られて、鳥の声を聞いて、たまには雨にさらされて。そのようなあり方がとても大事なんだ」
ところでr1950年代〜1960年代ミッドセンチュリーに呼吸をしていた「Waiter jacket」御存知でしょうか。当時レストラン等で給仕をするギャルソンが好んで着ていた通称ウェイタージャケットは、年代や製造ハウスによってばらつきはあるものの、浅めのダブルブレストに集合的な4つ釦、フラップを入れ込んだようなポケットの形式に(御釣りやチップの出し入れをスムースに行う)主張性のないピークドラペル、運動性と気品を守る緩やかなアームの前振り、木綿構成のテーラードスタイル。以上のマテリアルを具したコットンテーラードがあまりにも、そう,あまりにも優秀なもので、足を御運び下さった皆様へ広く広くご紹介をさせて頂いております。ミッドセンチュリー傑作のひとつです。おそらく打ち込みも密がない綿生地と謂いますか、しかしながら振るうと恐ろしいほど濃厚な音を奏でるものですので音方式で参りますと勝手ながら天然木綿の上澄みとして判断をさせて頂いております、が、ゆえにと謂いますか、これも真実のひとつとして御査収頂きたいのですが、先ずは半年程サイクル良くお召し頂くと、掴んだり着たり脱いだり触ったりもう一度掴んだりの連続によってか、しっとりと蜜を吸わせたようなテクスチャーを獲得して参ります。艶艶しいというか瑞々しいというか。活性されるいうか。どう考えても “しっとり” で御座います。これはKARIM HADJABのクリエイション上の特性かベース個体の木綿性質かは不明で、身体の油分や湿気による生地昇華と憶い、水で洗うとガサッに戻ります。そして迎える木綿の軽やかさと強さと機動力は丸めてcarry a jacket出来るうえ、芯もパッティングもないアンコンストラクテッドの構成ながらダブルにピークドラペルの能力は島国を出られる際にも存分に魅せて頂ける事と存じますのでトラベルジャケットとしてご年齢問わず推奨をさせて頂いております。そのようなわけでご用意させて頂いているホワイトピンクとオリーブ、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

KARIM HADJAB “4Saison” base,1950s cotton tailored jacket

KARIM HADJAB “Argile” base,1960s cotton tailored jacket
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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こちらでも綴らせて頂きましたが私は “ 停滞する ” ことに強い危機感と違和感と、もっと言ってしまえば嫌悪感と恐怖心がございますので時間を見つけては街を彷徨い刺激を求めるようにしておりまして、やはりこの生業ですので自身への服飾目線でのそれがどうしても多くなってしまい 2019 年においても変わらず行動しているものの、今年はまだ何にも出逢えておりませんで非常に心が寂しいのですが、彷徨い歩いている時は折に触れて, そして SURR などの空間にて御客様方と過ごさせて頂いている時には本当に常に、心の奥底から強い感情 ( ある種の願いに近しい ) が単純明快な表現にて湧き上がり空間に噴出されます。やはり ファッションは愉しくなくては
そう、愉しくなくてはいけません。ファッションは愉しくなくてはいけないのです。この点は理論性も論理性も不要でそう感じるか否かの感覚のみでして、私は何かを伝えたい時や表現する際に活字を用いることが多いのですが、しかしながら, いやだからこそ感覚を主軸とする御方に対して以前より大いなる羨望心を抱いておりまして、とはいっても人には得手不得手と適材適所がございますので今となっては正々堂々活字を用いておりますが、やはり変わらず感覚主軸の皆様方は憧れの的でしてその感情はこれからも変わらないと想います。いるのですよ、野生動物のような方々が。純真無垢に心から尊敬致しております。
しかしながら ファッションは愉しくなくては という点に関しては私にとっても感覚のみですのでそう言葉にさせて頂いている時はなんとなし心が若返っているように想えるほど, そもそも想うこと自体が愉しい感情でして、旅の道中でも新たな出逢い, 驚き, 唸り, 時に斬新過ぎるがゆえに笑いなど、沢山ではないものの何度かそれらの感情を味わえる旅の度に “ そうそうこれこれ。やはりファッションは愉しくないと ” と心の奥底にいる純真無垢 ( と願います ) な福留 健太がひとりごちるのです。この度御提案させて頂きますのは前述ですと最後にあたります 斬新過ぎるがゆえに笑ってしまった 一着です。

“ E だ。E と∃ だ ” この愉しい愉しいポケットに想わず笑ってしまい、またも怪しいアジア人の風体をパリの街で晒してしまいましたが、愉しい感情は致し方ございません。1960 年代にフランスにて構築された本品は元々着飾るためではなく広義においてスポーツやレジャーの分野に属する衣類ではございますが、しかしながら, いやだからこそ注ぎ込まれたそれらは、だからこそ純粋に強い求心力を獲得するのだと想います。そもそもとして合理的ですし無垢な美しさを有する形状なのですが、私は遊び心 / 傾き心として感じてなりませんで堪りません。“ こうするとポケットが E になるな ” “ そうしたらこっちは ∃ だな” “ “ HA HA HA ” ” というやり取りは無かったと想いますがその可能性がゼロではないところ、夢想を許してくれるヴィンテージの懐深さ。余談ですが、∃ は〇〇が存在することを示す “ 存在記号 ” という種類だそう。GOOGLE で調べましたが解説を読んでも頭が微塵も理解受け付けてくれませんで、またもや無学に散りました。来世精進致します。




60s French hunting jacket.
目的性が狩猟らしい可動域ですが、構築に際する丁寧な心配りを全方位に感じられる仕立てから美しい立体感による丸みが飛行機乗りの羽織りを連想させる研ぎ澄まされた洗練性を、それこそ 御愉しみ 頂ける一着ではないかと存じます。引き続き手前どもは “ 小売店舗 ” であることの誇りを胸に、収集用としてではなく資産としてではなく着て愉しむためのもの, 愉しいという感覚を抱くための服飾品の御提案に精進致します。
SURR by LAILA 福留
03-5468-5966
[email protected]
 

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わたくし目に視えるものしか信じない頑な性格の持ち主ですので多神教な此の島国において見守って下さる神様も居なければ風の噂なんかはグレーゾーンに敷いてる情報編に引っかかり、そうはいってもオドロオドロしいカテゴリーは2度ばかり目に致しましたので気が触れていなければ有り難い経験で御座いましたが、例えば占い、というスピリチュアルな未来予知体験などわたくしの稚拙な頭脳で振り絞ろうと理解に到達できるフィールドではない、と確信しておりまして、食わず嫌いと謂いますか、それは経験したことがないから然うなのではありませんか、と問われれば全く以て其の通りでして、実のところ当たる当たるとわたくしの狭い世界で囁かれている其の御方に自身の近未来を視て頂きました。正月明けの事です。
なんでも九紫火星という九星の一つのようで、憶えているのは2019年は2月3日から恐ろしいほど運気が良くなるという事、こちらから動かなくとも女性の方から歩んでくるという願ってもない情報を頂戴、人生本当に生きてて良かったと頑な性格が崩壊した瞬間で御座いましたが、前方だけではなく四方八方に注視しなければなりません、さもなければ秋頃に女性関係で失敗をしますと謂われまして、ゴクリと唾を呑み込みました。今のところ歩んで来られる女性の影すら見当たりませんし、帰り道は後ろを振り返っております。
さらには “探し物が見つかります” という嬉しい御言葉も頂戴し、占いも悪くないではないかと街の中華料理屋で一杯やりました。私事が多い連日で何かと恐縮しておりますが、探し物というのは更新というサイクルではなく常に不動かつ追加される希求物でして、すぐに見つかる物はリストから赤線をシュッと引けるのですが、そう容易く往かぬ物ならばリストの上の方に取り残されるもので、グレーゾーンに引っかかる情報網もせっせと手繰り寄せております。
リスト上の方でインクが薄れている項目その⑴ キャップトゥダービーのブーツで御座いますが、キャップトゥであれば良いという話でもなく街履きとして最適なダービーでなければなりませんし足首を護る7ホール以上のブーツスタイルでなくてはならず、先日此方で綴らせて頂いた雑記と同様、【道具】と【旅】というキーワードないしポテンシャルを無意識的に求めている希求対象に圧倒的確信をもってピントを絞っているキャップトゥダービーのブーツで御座いまして、履き物としては硬い石畳のうえでも容赦なく音を鳴らせる屈強物である必要と長い長い旅であれば時間経過と酷使にも耐えうる頑丈物でなければなりませんし万が一の事態にも修理が効く応力に加え、深いトラウザーを履きさえすればレストランでワインも頂ける懐なんてネガティブ要素がまるで御座いませんで、キャップトゥという特性とダービーという快適性とブーツという防御性を街の中でたっぷり可愛がれるデューティーギアをポジティブに捉えない理由など、見当たりますか。
わたくしが敬愛して已まないJ.M WESTON社の個体御縁とも相成れば本日のDiaryを綴らせて頂かない選択肢も見当たりませんで、探しても探しても探しても見当たらない同社提案のキャップトゥダービーのブーツはグレーゾーンの情報編にかかっている希望すら持てず、手繰り寄せてもミドルグレーなもんで、歴代作品の揺り起しも見られる(気がする)現在の同社提案にひっそり期待を寄せてはおりますが四方八方に注視しながら残酷なほど機会すら得られず、わたくしの中では幻の履き物に昇華されている其の対象物とはいえ、ただひたすら運がないだけかもしれません。履いた者にしか解り得ない足首周りの心地よいホールド力、パッケージのようなショートノーズのコンパクト感、端正に打ち込まれたブローグ、1970年代革質の艶かしさといったらブラッシングとキメの細かい布巾で拭うだけで瑞々しくとろけるような質の感を得られる様子にいつもながら完敗しておりますが、正直申し上げると磨く行いや“光らせる”行為を好まないわたくしはドレスシューズ不適合者の印を押されそうで、そもそも【道具】の意味性が完璧な落し所なもんですからキメの細かい布巾でも拭えない性癖という事で前を向いておりまして、雨だろうが台風だろうが花粉だろうが地に足を付けて進んで往けるフランス同社の履き物に深く深く感謝している常日頃と、いつぞや身を投じようと考えている世界への厳しい旅に持って往く履き物をただ1足と決めているキャップトゥダービーの其のブーツが、フットワークが軽快なショートブーツであれば、J.M WESTON社の御作りで収まるならば、街の中を力強く踏み締めて往けるならばと強い意志を貫いて参りましたがつい先日、8ホールのブーツ獲得に至りまして、キャップトゥではない妥協点を上回る性質を感取した(気がした)もんで一応安心したつもりでおりましたが、本作との出逢いによってリストの上の方で薄くなっている横文字を太書きする事に致します。占いの先生、探し物は見つかりますか。

70s J.M.Weston cap toe short boots
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]

 
    







