ツイードという毛織物を探究しますと、スコットランド産の羊毛という条件が必要な歴史もございましたが、現代では限定性は皆無。広域な基準でツイードという織物が存在しましょう。小さな区域にて発祥したその毛織物の魅力が、世界へ向けてディフュージョンしたからこそ広域な基準が存在してるのだと思いますが、いずれにしましてもスコットランド産の羊毛が使われている/いないは差し詰め重要ではなく、羊毛本来の力強さをそのまま体現できる平織りまたは綾織りされた内容こそ、ツイードであることの証明であり、詳述する必要のない自明の魅力でしょう。
縦にも横にも強く、頑丈に織られた天然繊維、たとえばこれがテーラードジャケットという衣類に用いられた場合、男性的魅力を最大値まで高めることはご想像の通り。とはいうものの、折角の肉厚でたくましいツイードを、汚れやほつれに対しセンシティブになり、天候を恐れ、テーラード特有のルールを適用させることは、ツイード本来の魅力を消滅させることになるという、古くから存在する定説。数年、雨にさらし放置する自然環境がツイードの本質を最高レヴェルまで引き出すとはよく云われること。実際に、そのようなロジックが存在するとしましても、縦方向、横方向へ完璧に織られたその生地が、どのように昇華されるものか、将又、マイナス的要素を孕むのか、定説通り素晴らしいポテンシャルを獲得するかは、いってしまえば各々の判断基準。
少なからず、1年間自然界へ野ざらしにし、究極的な環境下で実際に耐え抜かれた、とある2着を目の前にしたわたくしは、たった5分程のフィッティングにも関わらず、確実に既製品にはない鍛え抜かれたテクスチャーと、人の動きにどこまでも追随する織りの柔軟さが、脳裏と身体とで完璧に記憶してしまい、それからというもの、1910年代〜1980年代、近年まで広域に探すもまぁ御座いませんで、仮にも上記ロジックが存在したとて、実践的にトライした倒錯者などいなかったのではと思わざるを得ない始末。そりゃそうだ。
詰まるところ、ツイード本来のポテンシャルが最大値まで昇華されるには、クリーニングを習慣化するより、元は羊毛、野に放ち、雨に打たせよと。
そして、論より証拠と謂わんばかりに実行された、その2着。
約1年間、数秒先も予測できない自然領域に放ち、人間を侵入させないルールを徹底。その後収穫し、超然的な自然環境下で蓄積された瑕疵や変調をたったひとりの女性が6ヶ月という時間をかけて丁寧に縫合し、修繕。自然界直下では、当然あらゆる天候を経験。たとえば不規則に降る雨に対し、水の多くあたる部分、又はあたらない箇所。故に獲得される特質的な縮率とフィッティング。それは某メゾンのテーラードのように神経質なフィッティング概念がまったく通用しないカテゴリーであり、完璧に独立する無類の1着。だからこそ、どこまでも自由なその洋服は、繊細な舌を武器とするフレンチシェフでも、指と耳の絶対感覚をもつヴァイオリニストでも、人生を編みに捧げたニッターでも、フィッティングではなく個性とさえ合致すれば文句の付けようもなく成立する代替性のない内容。唯一無二に昇華されたステータスと、たくましくも柔軟なツイード地だからこそ男性的魅力を引き上げるものと、久々に心を揺さぶられたテーラードジャケットで御座いました。
手際よく袋縫いされたその2着、元は1940年代に仕立てられたフレンチテーラードですが、それらに完璧無垢の “ 個性 ” を与えるべく母国Parisで探究/精査/実行をするKarim Hadjab氏のクリエイションは、世界的にみてもポツンと孤立したように特異的であり、革新的であり、衣類の根幹を見据えた単純明瞭な哲学。彼がクリエイションを試みた衣類にはネームプレートや表示タグはなく、純粋な1着として向き合って頂きたい彼の思惑、そして焦点を当てられたこの2着は、ツイードのポテンシャルが最大値まで昇華されたとある40年代のフレンチテーラードとお認めを頂けましたら、我々としましても何より。
Karim Hadjab , 4Saison & 6Months & Hand finish , base : 40s French tweed tailored jacket
長い年月をかけて訓練されたようた柔靭で力強いツイードは、毎日にでもお召し頂き、本来の魅力をご体感頂くのと同時に、どこかに生じた変調や瑕疵はその都度手直しを続け、永いこと愛して頂きたいお洋服で御座います。出逢いよりややばかり時間が経過しましたが、こうしてご紹介が叶いましたことを素直に嬉しく思います。言葉そのまま、同じフィッティング、カラーリング、ポテンシャルは二度とエントリーが叶わない区分となりますので、この機会にどうぞ、ご潜考のほどを。
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
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長たる歴史や遍歴,軌跡を永遠とご紹介するつもりは御座いませんが、プレタポルテという概念が拡散したその根源に値するParisにおいて、幅も広くその才気を発揮してきたジャンポールゴルチエというひとりの男の功績は、キーボートにたった16文字の英字を打ち込むだけで彼の人生が出現する今の世の中。
少なからず、規則的に書き並べられた在籍環境や携わってきた人、それをひとつ境遇と呼ぶのなら “ どうでもいい ” わけなど決してなく、ましてや84年からオートクチュールコレクションが開始されるまでのメンズコレクション、その後のエルメス就任、どの年数を,どのシーズンを,どの作品を断片的に視ましても、常に、彼の才能がオーバーラップしている様が明確にも浮かび上がる具合。あらゆる尺度を用意して立ち迎うその瞬間、ファッションという世界に僭越ながら携わらせて頂いている身において、これほど幸せなことはないと想う次第です。本当によかった。
どの年数を,どのシーズンを,どの作品を断片的に視ましても、兎にも角にも、濃い。頭がおかしいです、本当に。情報がなにもない真空の状態で眺めるのが本来は何よりと思いますが、たとえば時系列を排除したうえで作品と向き合い、純粋性のみで勝負(賢察)しましても、怖ろしいほどにディープで、アナトミカル。無国籍で無人種。それは彼が専門的にファッションを学んでいないからなのか、常軌を逸していると初見の意が浮かびましても、シンボリズムやモニュメント性が少しも感じられないのは、少なからず、“ 人が着る ” ということが出発点であり終着点であること。端的に申し上げても、本当によくできた洋服です。さらに謂えば、あらゆる資料を捲っても元の着想点がまるで思い浮かばない。そもそもとして、今日着るか、明日も着るか、そうだ来週も着ようと素直なベクトルこそ全てなので、そこを追求する意味はまるでないのですが。わたくしもまた病気でしょう。悪い意味でも。
失礼を百も承知で申し上げましても、よくエルメスをやれたな、と。 “ 一寸の狂いもない変則性 ” に沿った素晴らしいデザイン群と、対極に位置するキングオブメゾンの揺るぎのないブランディング。かたや、彼が就任する2004年までレディースのクリエイションを一任されていた人物の師であった事実から、何かと筋が通る遍歴は、よくエルメスをやれたな、という一意見など素人の戯言と一蹴される素晴らしいクリエイションが、2004年から2011年の約7年もの間、披露され続けたこともまた事実。
特殊な好奇心を抱いた人々がひっそりと愉しむ種類のものでは決してなく、彼の長たる歴史や遍歴,軌跡と積み重ねた功績、偶発的に叶えられた境遇と、意図して叶えられた境遇。そんな彼を崇めた偉大なデザイナーと、それらすべてを含んだ上で、精査頂きたい内容であるのと同時に、キーボートにたった16文字の英字を打ち込むだけで彼の人生が出現する今の世の中、“ 一寸の狂いもない変則性 ” に沿った渾身の1着を目の前にしてしまえば、あらゆる文字列やロジックなど机上の空論。たとえ1000pに渡る文献があったとて敵うものではないと、お含み置きの程を頂けましたら、何より。
彼が祖母から洋裁を学んでから、P.Cardin氏の目に留まり、自身の冠のもとで精査を続け、エルメスのフィルターで自己表現を続けながら威風堂々と君臨し続けた才質と痕跡、彼のクリエイションが最も如実に表現された手仕事を知る、ということは、ファッションを愛してやまない我々にとっては確実にアドバンテージ(誰に/何に対してかは置いておいて)。特に、1994年に発表されたこの1着は、クレイジーに編み上げられた設計美、羊毛の上質さ、いたずらのように縫い付けられた無数の釦、両袖裏側に潜む特注の闘牛。 “ enfant terrible(恐るべき子供)” と評価された内容を濃厚に感じ取ることができましょう。ゲーテの「世界の万物はメタファー理論」に、唯一該当しない独立性と、他に表現の仕様がないこのニットジャンパーは、隈なく検証すればする程に取り込まれて往く危険信号。
今後しばらくは、出逢ってしまった強烈な印象と、完璧に包囲された感覚は消えることがなさそうです。
1994s Jean Paul Gaultier oversized knit pullover jumper with buttons
ゴルチエ氏を師として崇め、敬い、尊敬し、時にエルメスの冠を引き継いだとあるデザイナーのメンズファーストシーズン。紙一重に揺れるシンボリズムとアノニマスな匂い。
共に12/2より。
SURR by LAILA 小林
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