相反する特質を極めて極端なカタチで持ち合わせる美しさは、AとZを簡単に引き合わせれば表出するものではなく、蛇口をひねってコップに注げるような種類のものでもないでしょう。それをヒトの頭脳の中に降臨させ、または実際的に目の前に出現させるには、永い永い時間を必要とするかもしれませんし、雨乞いの踊りさえ必要とするように精神的な我慢強さを通して誕生する種類のものかもしれません。あるいは、偶発的奇跡により3秒で成立するものかもしれません。
いずれにせよ、渾身的もしくは自然的エネルギーを必要とする作業であり、行程であり、何より慎重なものなのでしょう。
例えば、
肉厚で頑丈な「革」と、
無機質で感情のない「部品」
驚くべきことに、肉厚で頑丈な「革」と無機質で感情のない「部品」により構築された其れは、日常的な道具として見事にマリアージュされ、あまりにも自然に完結しており、習慣的なデバイスとしてきちんと機能しておりました。こうすればこうなります、と教科書には綴られていない、的外れな美しさを持って。
そして「驚くべきことに」とは単に文章の構成上、必要だからキーボートを押したのではなく、本当に驚いたから、と申し上げねばなりませんし、次に、無機質で感情のない部品の “ 正体 ” を明かさねばなりません。
50s ski boots buckle
50s overall buckle
相反する特質を極めて極端なカタチで持ち合わせる美しさを実現させるにあたり、もしくは実現させるベクトルは存在しないにせよ、結果として見事に表出させた基盤には、無目的に終わるはずのアンティークパーツを点検し、検証し、そして綿密に計算した後、有益物としてリコンストラクションする “ 再構築 ” という全的な要素が存在しており、それを成立させた彼の才質にとってさえすれば、AとZを引き合わせることを容易に行えたかもしれませんが、少なからず、蛇口をひねってコップに注げたわけでも、偶発的奇跡により3秒で成立したはずは決してなく、部品の位置は完璧なポジションを捉え、様々な種類のウエストにフィットが可能なのは緻密な計算式が存在していたはずであり、雨乞いの代わりにナイフで鉛筆を削ったかもしれませんし、その鉛筆で描かれた設計図は満杯のゴミ箱へ投げ込まれる末路を繰り返したかもしれません。
“ 再構築 ” という手法/手段を実践した内容は、作為的であるにもかかわらず、無国籍でどこにも属さない、純粋にも日常的かつ男性的な道具であり、何よりその “ 意外性 ” のみで他の其れらとの完璧な差別化を計るため存在している種類のものでもなく、質素だが肉厚で簡潔的である頑丈な革は、寿命という概念を現実的に当て嵌めることはできず、無機質で感情のない部品の正体は、物珍しさなどむしろ副次的で、あまりにも頑強で、あまりにも現実的な部品であり、それら要素を踏まえたうえで全体像を慎重に省察しましても、人を腰から支える純粋無垢な道具に尽きましょう。
New arrival late90s leather belt
50s ski boots buckle & 50s overall buckle
1/13(土)より。
どうぞ、御賢察のほどを。
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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余談と理想の話
私事にて恐縮ですが、感覚更新を繰り返した先に辿り着いた理想的なコットンシャツ、即ち、コットンというお素材は、幾重にも洗いと乾燥を繰り返されたアンティークコットン(少なくとも50年以上経過している綿をそう呼ばせて頂きます)で御座いまして、おそらくそれは水という酸素と水素により成り立つ液体と吹き抜ける天然乾燥、何より蓄積された目眩がするほどの膨大で莫大な “ 時間 ” これら3つの要素が条件として満たされることが必要であるように思えます。そうでなくてはならない、と思うに至ったきっかけは、先シーズンの2月頃に店内でひっそりお披露目となった1930年代前後のフレンチコットンシャツに触れてから。そうでなくてはならない、とはあくまで其のシャツとの出逢いによる後付けで御座いますが、そんなことはどちらでも構わないと、確実なる感覚更新を実現させた驚異的な対面で御座いました。(因みに其のシャツは現在1枚のみひっそりと置かせて頂いております。)
そうでなくてはならない、というロジックやら条件やらは、お洋服を愛してやまない皆様又は、この分かりにくいDiaryをいつもご一読下さっている皆様ならば、きっとマニアックでディープな内容をお心に持たれているだろうとお察し致します。そもそも俺はシルクシャツしか着ない、とか。1980年代米国の粗粗しい綿織りじゃないと肌が喜ばない、とか。アイラブフランネル、とか。私の場合は漠然とした理想条件をあくまで漠然と保有しておりましたので、そうでなくてはならない、を事前に明確に言葉で表出することが叶わず、「触れてはじめて」の感覚を何より大切にしてまいりました。きっと頼らざるを得なかったという表現が大方正しいのでしょう。導き出された例えばの回答が、“ 水 ” “ 乾燥 ” “ 時間 ” でしたが、その条件や触れた実際的な感覚は、今後何十年もの間私の中に漠然とそして確実に形成されていくある種の「体制」へと化けるものと、まるで決まりきった事柄のように。
“ こうでなくてはならない ” と。
しかしながら“ 水 ” “ 乾燥 ” “ 時間 ” という抽象的でありますが確かな条件を獲得した私は、いとも簡単にその方程式を崩される結末を迎えたのがその数ヶ月後。積み上げた法則やら摂理やらが、ワンクリックでオーバーライトセーブされる程の威力をもった其の1着。おそらくは手が触れるまで、3つの確かな条件を方程式として確保し続けたであろうと微かに思いながら、隅々まで検分する必要がまるでないように素直でイノセンスに溢れた1着との対面は、純粋にもタイミングと、そして私が知っていたはずの世界の狭さが露呈した瞬間で御座いました。
ハリはありません。艶もない。
しかしながら、驚くほど物柔らかで軽やか、マイルド、そして、柔軟。決して大袈裟に申し上げてるお話では御座いません。まるで天然のカシミア毛をフランネル地に織り上げたよう。それにもかかわらず、立派にスプレッドされたカラーはドレスシャツであることを全的にディスプレイされ、高度に、専門的に、驚くほど正確に仕立て上げられたこの1枚に、習慣的な強さを現実的に期待してしまうポテンシャルを、たった一度の対面と、触れるという行いのみで、肌から克明に感じ取れる種類のシャツで御座いました。 “ 水 ” “ 乾燥 ” “ 時間 ” という抽象的でありますが確かな条件は三位一体とまで満たされず、おそらく1980年代にたまごから割れて生まれた瞬間からずっとこの資質であるでしょうし、“ 水 ” と “ 乾燥 ” に関しては「高級素材と完璧な仕上がり、洗うたびにしなやかになる感触が特徴で」と何とも分かりやすくオフィシャルペイジにて綴られていたのできっとそうなのでしょう。いずれにしましても、今後何十年もの間私の中に漠然とそして確実に形成されていくある種の「体制」へと化けるはずの “ そうでなくてはならない ” は、粉々に吹き飛ばされたものではないにしろ、既存のプログラムは書き換えられ、「体制」へと構えるにはまだまだ先の話で、世界は狭く、知っている以上に広く、そしてここまで約1500文字程を綴らせたその1枚、少なくとも確実なる感覚更新を実現させた驚異的な対面で御座いました。
“ こうでなくてはならない ” と。
80s Thomas Pink natural cotton dress shirt
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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皆様、明けましておめでとうございます。
お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか。
私事にて恐縮ではございますが、北陸は能登半島へ、蟹と温泉を目当てに足を伸ばしておりました。
東京の寒さとは質の違う寒さに心を削られましたが、荒れ狂う日本海は思い描いていたイメージもそのまま。
人間が到底敵うはずがないであろう破壊的なその光景を窓から眺めながら、安全であたたかな宿に身を置き、ただ只管食べて飲んでの正月で御座いました。ともあれ、北陸の食べ物は本当に美味しい。
今年はさらに南へ、四国の方へも是非伺いたいと思いますので、美しい場所、美味しい食べ物、安全な宿、美人の女将をご存知の方がいらっしゃいましたら、どうか小林までこっそりとお教えください。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
さて、昨日より営業を致しておりますが、前回の告知通り、ひとつのステージについて編集をさせて頂いております。
昔のポートレートに写る男性が着用している衣類を隅から隅まで観察しますと、0.5割はワークウェア、0.5割はミリタリー、殆どを占める9割は “ スーツ ” で御座いました。(肉体を衣とする者達を除く)
そこに年齢や体格、骨格、場所やロケーション、髪の長さや色、隣が笑顔の有無は一切関係がないように、自然に写りこむ彼らの姿は自由そのものであり、なにを差し引いたとしても、なにとなにを比べたとしましても、恒久的で実に頼もしい男性像の実態であると感興を抱くと同時に、客観的位置からきっちりと精査を繰り返しましても、スタティックな男性的理想像のひとつが、暫定的にも “ スーツ ” であると。それはきっと概念的にもそうであり、実際的にもそうでありましょう。おそらくその内容は私のみならず、明白な事実みたいに世界の大部分の国の人間が同じように思うものでしょうか。猿はバナナが好きとか、砂漠に雨が降らないとか。
それらと同じように。
男性的なスタイルは、テーラードないし、何より、スーツであると。
0である無から、100の完全体を生み出す、例えばBespokeという世界。
身体のあらゆる部分に完璧に沿わせるには、はっきり申し上げましてもBespokeしか御座いません。その内容は明白そのもので、仮に世の中のメーカーが提案するテーラードやスーツ、既成の型に生地を当て込むパターンオーダーでさえも、100の完全体は実際的に困難な種類のものでしょう。それはあらゆる衣類にも言えることかもしれませんが、少なからずテーラード、突出してスーツの世界では当てはまる内容と認識に至ります。しかしながら、過去に生きた先人達が顕示するそれらの細部に目を落としますと、確実に前ボタンが留められないであろうフィッティングを堂々とお召しになられている紳士や、肩幅がやけに広い1着を海辺で悠然と披露する若者。100ルールをそのまま彼らに当て嵌めるならば、おそらくそのお召し物は60か70であるでしょうし、もしかすると1900年初頭でありましたらそのフィッティングですらビスポークやもしれません。後に太った、など。とはいえ、確実に前ボタンが留められないであろうその1着は、10cm近くある幅間のノッチドラペルの上、ダブルの3ピースであるが故に、仮にもボタンを留めずしてジャストフィットであったとしましても、恰幅の良い紳士に見事なまでに似合っており、おそらく一緒に肩を並べていた貴婦人も気にも留めてはいないでしょう。肩幅がやけに広い1着も、ミニマルなラペルが功を奏してか、端正な顔つきの青年にとてもよく似合っており、大抵相場は決まっているもので、その種類の男性の両脇には美しい女性が寄り添っております。
勿論、センシティブにフィッティングを精査頂くことは重要な項目でしょうし、我々も可能な限りフィッティングガイドをさせて頂きます。恰幅が良くダブルのテーラーの釦が留められない紳士や、端正な顔つきの青年が正解/不正解という話でも御座いません。例えば肩幅をあと1.5cmお詰め頂くのが現実的かつ一般的な精査でも、袖丈が絶妙な数字を獲得している条件を満たされていてかつ、その方の体型、体格、身長、顔立ち、歩き方、立ち姿、髪型、癖、様々のファクターを「個性」として当て込むならば、その1.5cmは残すという選択も大いに御座います。100に限りなく近づけるのも宜しいですが、実は80付近がその方の男性的魅力を最大限発揮させる数字かもしれないと、御含み置きの上、お楽しみを頂けましたら何より。
次に重要な要素は、云わずもがな、生地。
AUSTIN REEDは、1900年初頭、ロンドン市内に開業したイギリスのスーツメーカー。30後期〜40年代にはロイヤルミリタリーピースの仕立ても請け負うなど、実際的なテーラリングは目を見張るものが御座いますが、実例は上画像の60年代のAUSTIN REED。落ち着きのあるラペルに2釦、フラップポケット、英国らしい深めのサイドベンツ、正統的かつ現実的なネイヴィスーツ。永くに渡り積み重ねてきた歴史を硬質な気配として明瞭に感じて頂けるものと。そして約50年前に織られた生地。少なからず現在では生産されていない種類のそれらは、おそらくは再現できないであろう内容と、再現を許してくれる環境でさえ、ビスポークによる生地からのメイドトゥオーダーは控えめに申し上げましても非現実的。
故に、フィッティングが100か80かの前に、テキスタイル、カラーリング、テクスチャー、様々視点から賢察するは、先ずは「生地」
それは60s AUSTIN REEDの具体的に力強く、謙虚なネイヴィ地か、将又、とある人物を想起させるような優しくも適度に抑制されたグレイッシュスタイルか。
若しくは、驚くほど上質なフランネル地に描かれたようなトリプルストライプか。
濃密かつ圧倒的なフォーマルブラックか。
60s〜90s Vintage set up suits
猿はバナナが好きとか、砂漠に雨が降らないとか、男性的な衣類はスーツとか。
その既成事実的内容に当てはまろうともなかろうとも、恒久的で実に頼もしい男性像の実態のひとつとして挙げられるのは明白であり、やはりスタティックであり、暫定的であり、そして理想的着地点でありましょう。身に纏った際の驚異的なプロポーションやフォルムは、他の衣料にはない完全に独立したステージ。シンボリックに楽しむのも、ブーツとワッペンで独自のシステムを適用させるのも、どうぞお好きなように。
どうぞ、お好きな1着を。
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
[email protected]
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