ひとつ気付いたことと謂いますか、再考の余地ありと謂いますか、わたくしの其の認識を改める必要があるなと、振るい起こしスイッチを押すこととなった前シーズン(というより最近)。お洋服に載せられたテキスタイルや色彩/彩色というのを感覚分野において直感的に美しいと捉えるか、または、美しくないと捉えるか、でなければ、おそらくこれは美しいだろうけれどある一定上の美しさに留まるだろうと捉えるか、もしくは、その判断は蓄えられた知識に起因するか、あるいは、本能的に感動を憶えるか。
けれどもたしかに、いずれの見解を述べるか初見判断を下すかフェイバリットテキスタイルにプールするかは、他が決して侵略できない絶対的テリトリーで在ろう事、ピエトモンドリアンの直線と単一的な色彩を美しいと絶賛を寄せる方もいれば、そもそも抽象派が好みではないと述べる方もおりまして、極めて “ 絵 / 画 ” と向き合う様子と近しいのだろうと思うわけでありまして、そう「Missoni」のテキスタイルバランスにおいては特に。
「ミッソーニの色彩コントロールがいかに有効で、そのうえ、美しいか」を、多様な角度からシャッターを切り、様々な表現方法を持ち出そうとも皆様の絶対的テリトリー内に侵入しよう試みるほど無遠慮な事も御座いませんで、かたや抽象派の絵画すべてが美しいと思うわけでもピエトモンドリアンの作品すべてを愛しているわけでもない明確線というのは、その目の前の1つを美しいと判決下すか否かの分水嶺であり、思う/思わないの一線であり、ミッソーニは目の前のクレイジーパターンを美しいと思う/思わないの、分かれ道で御座いましょう。
そのようにして、振るい起こしスイッチを押すこととなったわけであります。皆様に、さぞ当たり前かの如く、さぞ自明の事のように、さぞ周知の事実のように、同社作品の美しさをエントリーさせて頂くなど烏滸がましいったらありゃしない。それは先日、お客様と過ごす時間の中で濃密に感じた内容で御座いまして、初見判断で「クレイジー」と捉える方と「ビューティフル」と本能的に感じる方と、くっきりとした様子をお見受け致しまして、あるいは当然どちらがどうというお話では御座いませんし、そこに真実があるならば「ビューティフル」であり「クレイジー」であるのでしょうが、しかしながらそう、さぞ当たり前かの如く、さぞ自明の事のように、さぞ周知の事実のように同社作品の美しさを直感的にも本能的にも感じずにはいられないわたくしは正直なところ歯がゆい想いを抱きながら、エゴを述べるなど烏滸がましいことはなかろうと、妙な葛藤に苛まれながら本作のエントリーを迎えておりまして、こんな事を青山通りを闊歩しながら考えているわたくしも随分まともではないのでしょうが。しかしながら本作において、果たしてこの1着をわたくしが美しいと憶い、皆様に美しいと御感取頂けようものかどうかなど悩ましい悩みや葛藤も吹き飛ばす程、わたくしの背中をそっと、力強く推してくれる絶大かつ驚異的な特異的要素が御座いまして、それはおそらく平面な絵/画ではなく、最高グレードのお仕立てと生地、イタリメゾンの神経が注がれた生地、そのように「お洋服」である事が、簡潔的かつ簡約点と先ずは述べさせて頂きます。
上画像のようにリバースしたところでその色彩は薄れる事はなく保たれるものですが、トラウザーは裏を返せば良い仕立てか解る、ロジックと同様、粋な照合をしたいのではなく、謂わずもがな驚異的な魅力を秘めたるは生地の組成で御座います。ミッソーニテキスタイルを全体から精察しますと極めてダークトーンに分類される本作の中心色は、スモークピンクやスチールブルー、コルクベイジュで御座いましょうが、そのスモーキートーンに制御された色彩調和と色調均整に現実性を与えるため,力強いテクスチャーと強度を保つべく精選されたメインファブリック天然木綿、そこにブレンドされたし弾力性と強度向上、天然艶、モヘアを混紡させたような頼もしい手ごたえ、人肌を温め得るフィジカルな感触、そのように全体の調整役として採択された稀少繊維 “キャメルヘアー” と解ればもう。
New arrival 70s Missoni shirt , cotton & camel hair
どこまでも自由にお召し頂くことを推奨している理由として本作独自の組成と立体性こそまさに叶うもので御座いましょうが、具体案を述べずしても今シーズンのテーマがイタリアの風、と引き続きなもんですから、自由に、どうぞ御自由に御愉しみを頂けましたら何よりでありまして、タックインだろうがアウトだろうが折角の贅沢な生地がたっぷりとあるわけですから、制限なくたっぷりとお召し頂かないことには勿体がないと謂わざるを得ません事、そんなわたくしも精神を研ぎ澄ますことやら此のシャツを助長する役割として選択したわけでもなく、無の境地の中、店内新作トラウザーより2本を拝借の上、自由気ままにたっぷりと愉しませて頂きました。しかしまぁ気が付けば妙な葛藤も歯がゆい想いもなんもかんも消えてしまい、ミッソーニのテキスタイルは誰がなんと謂おうと美しい!と声を大にしたい想いに完敗し、奮い起こしスイッチをまた押し直す事に終結し、文頭からの論述を台無しにして本日はここまで。
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元々親愛なるトラディショナルではありましたが、年次を重ねるたびに愛が深まり、また一層に雅さを重んじる気運となって私的な時間でもドレスシャツ・ドレストラウザー・革靴で田園都市線が最も心身に沿うこととなった私にとって、このような品との出逢いは純粋に喜ばしい限りでして、それが昨年度に自身用として思い描いていた, そして最終的には出逢えなかったスタイルと近しいとなると、その高揚感と嫉妬心は一層です。
一着のコートとしてある程度の時代を越えてきたことはこの生業ゆえ一目で判断できますが、それ以上に圧倒的に不変的な上質さを感じさせる総合的な出で立ちの秘密は、前立てを開くことで即座に明るみに出ました。
サルトリアという分野に対して実直かつ丁寧に向き合ってきた Tomboini 社と、生地・素材, 特に織物に対してを最高水準を掲げ続けてきた Loro Piana 社が手を組んだクリエイションとなれば、その上質さも納得。と申しますか、納得するしない以前に直感的に圧倒されてしかるべきに想います。極めて不変的なトラディショナルであり、雅さ, 優雅さが強ければ強いほど、そして伝統的な要素を尊重するために余計な諸々は注がないと “ 判断 ” されていればいるほどに土台となる仕立てとそれを構築する素材が申し上げるまでもなく最重要な核となります。私にとってその 2 つの核はある種の残酷性を有するほどの要素力と想っておりまして、例えば圧倒的な才覚によって天才的な設計がなされたとて、仕立てと素材を誤れば凡才, もしくはそれ以下になる と考えているほどです。
late 70s Tombolini, chesterfield coat fablic by Loro Piana
時流にも国にも年齢にも左右されない不変性だからこそ心に寄り沿う一着との出逢いは稀有であると私は昨 AW 期の時間を丸々費やして再確認致しました。これがどなたのどのような一着となるかは夢想の枠を越えませんが、いずれにせよ御心の高揚と “ 個 ” の底上げ に繋がることを切に願います。余談ながら、私は以下のように着るのが今の圧倒的な気分ですが、心身ともに無造作に羽織ってもそれはそれは雅だろうな、とも想います。それは着用者の心が雅でさえあればという絶対的な前提に基づきますが、ここでいう心の雅は “ 現代社会に属して、真面目に生きている ” を指しますので、まぁなんと申しますか、きっと結局のところ皆様方全員が当てはまることでして。
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この個体を一体どのように御伝えすれば、一体どのような方式をもってご紹介すれば、いかなる時折が望ましいか、わたくしのこの抑えも利かぬ熱量を、一体、どのようにして、どのようなふうに、如何様な程に、御伝えすれば宜しいか。そもそもとして、弊店のフィルターを通した表現方式で正しいか、表現媒体として「Diary」というシステムは相応か、わたくしの私的文章を公式的にタイプし続ける事は然りか否か。これらを総称して「緊張」と謂いますし、コントロールの効かぬ不可抗力「重圧」とも呼びましょうが、生憎ながらわたくし、いずれも当て嵌まらず、好奇心というエンジンがかけられたし一月前から極端に暴走している私的欲求で御座いまして、その源にただふたつ謂える事としましたら、“ この服、この空間に在って良いのだろうか、 ” という素朴な男の素朴な疑問と、“ この服、この空間に在って嬉しい、 ” という思慮深い男の単純な感想で御座いました。
その源に据えられた簡素で単純で明快なわたくしの感想を具体化すべく横付け可能な理由というのは、「文化的共有資産」という意味性がまさに適合であるように思いまして、服飾史的見地からも文化保全的見地からも資料的見地からも護られなければならない種類の稀少かつ貴重な衣服であることは自明の通り、「ナントカ財団」だとか「ナントカ歴史資料館」だとか「ナントカ博物館」だとかに貯蔵され管理され魅せられる種類の衣服であることも自明のように勝手ながら捉えておりましたこの年代の、この衣服。
そのようにして避けようもない実相が御座いますが、しかしながら弊社秘密の部屋行きの切符も発行されずして弊店空間に佇むこの衣服というので、それほどの希少性やら圧倒性やら文化的共有資産やらの避けようもない事実は当然消しようもなく、今から約140年前に仕立てられた事実も、仏銀行家が着用していた事実も、「敬意」という札を貼り、引き出しにそっとしまったとして、この見事なコンディションを保つため保管管理に心血を注いできた,この1着を今目の前に存在させることを許した,この1着に関わってきたすべての人々に深く御礼を述べた上で、わたくしのこの抑えも利かぬ熱量と一月前から極端に暴走している私的欲求をご説明とさせて頂きたい所存でありまして、大体をもって、1900年以前の衣服というのは「work」であれ「military」であれ「bespoke」であれ、コスチュームとしての視認性が強く、キャラクターとしての視認性も否定できず、観察物としてのスペクタクルな具像をもった実態、が、その殆どであろうと思いまして、つまりは現実性がない、と不時着致しますが、2018年今現在とこれからを生きようとする我々が生活的に「着用をする」ベクトルを向けたとき、たとえそれがファッションで在れ勿れ、不適応な衣服が多く、文化的共通資産であろうが服飾史的にどれほどの希少性を持ち合わせようが、ひとりの男性と向き合わせた時には其れは跡形もなく観覧用に成り得るのだろうと、興奮と落胆を憶えるのはやはり“Special antique”という区分。
つまりは、そのような事前認識や固定見解や客観的考察というのをすべて完全に覆した此の“Special antique”との御縁は、その実態を自身の目で目撃し、仔細に眺め、思わず裏を返して「仕立て在りき」に唾を飲み、鉛筆でそっと線を引いたような設計美と、縮絨施術が施されたような力強い生地と、通気性,吸収性,発散性をもつ打ち込みの良いコットンリネン無垢の裏地、テーラードの前型でもなくそのまた前型とも呼べない限定的かつ仏的な前立てのカッティング/フラットアプローチ、エレガントな前振り袖,精妙なフォルム、多くの紙幣/金の出し入れを容易に遂行するため施された内側の約30×40cm巨大ポケット、袖丈を20cm前後調整可能なカフスの折り返し、何より、極モダンかつ圧倒的モダンかつ超絶モダンかつ驚異的モダンとも謂える同年代区分では絶対的に有り得ないこのフィッティングプロポーションというのを、袖を通して体感しようものならわたくしのドラマティックエンジンはいよいよをもって始動されるは不可避の事象で御座いまして、わたくしのこの抑えも利かぬ熱量と一月前からそのように暴走している私的欲求と、“超現実主義=シュールリアリズム” が見事に昇華されたこの個体を一体どのように御伝えすれば、一体どのような方式をもってご紹介すれば、いかなる時折が望ましいか、わたくしのこの抑えも利かぬ熱量を、一体、どのようにして、どのようなふうに、如何様な程に、御伝えすれば宜しいか、悩みに悩んで綴らせて頂いている只今であります。
New arrival & Special 1870-1890s France , Bankaers coat.
例によって、この時期のこのタイミングのDiaryへの選定というのは、選ぶも愉しい、しかし、絞れず、辛い、が、通説で御座いまして、パッと目があった個体を綴ろうと決めたり、勝手ながら私的ストーリーを持ち合わせた一品を選ばせて頂いたり、シーズンによって様々で御座いましたが、2018A/Wこの時期のこのタイミングのDiaryへの選定というのは、極めて例外的とも謂えるもので、当初から(一月前から)ファーストエントリーとして決定しておりました。それほどの訴求力とパワーをもった衣服は極めて少なく、デザイナーの手腕と熱量が注がれた個体、ミリタリーのパーソナルピース、個人が愛用した痕跡、世に溢れる衣服/洋服の中でそれは限りなく少なく、直感的に心震える感動を齎す衣服というのもそれ以上に少ないと思いますが、わたくしの場合、本作が其れで御座いました。著名のデザイナーが携わった服か、無名のアノニマスピースか、イタリアの巨匠が生み出すテキスタイルか、40sハンドニットの精妙さか、その感動というのは皆様それぞれで御座いまして、それぞれの「熱量」が備わるものと存じます。それが弊店の空間でなくとも、皆様にそのような御縁と感動がありますことを、心より、願っております。
ご挨拶が遅くなりましたが、A/W立ち上がり初日より御立ちより下さった皆様、本当にありがとうございました。
先日の福留と、本日のわたくしに続き、明日より1点(あるいは数点)ずつ、ゆっくりご紹介させて頂こうと思いますので、御暇つぶしにでも成り得ましたら幸いに思います。
まだ暑い日が続いておりますので、水分補給を忘れず、どうぞご自愛下さいませ。
弊店一同、皆様のご来店を御待ち申し上げております。
SURR by LAILA 小林
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