カリーム・アジャブ氏が手掛けるKARIM HADJABについて少しばかり / Diary539
21.5.2018

 

 

カリーム・アジャブ氏が手掛けるKARIM HADJABの新作発表を今週末に控えているわけでありますが、氏の感性が実際的に、意図的に、あるいは極自然的に保存された作品をどのような日本語句を持ってお伝えすればよいか、沈思黙考する日々であります。それは丁度昨年の今頃もそうでありましたし、只今この瞬間もそうでありまして、この先においても難攻不落の命題のように感じております。先日福留が記していたように、氏の初来日に伴い、同じ空間で同じ空気を吸い、等しく流れる時間を共有することにより理解が層一層と複雑化した事実というのは、わたくしも同様であります。ごく控えめに申し上げるとしましても、パワーがすごいのです。氏あるいはクリエイトされた作品から無意識に放出される不可視のパワー。その力強さや増強された資質というのは、袖を通すというファーストコンタクトを実際的に経ることで確実な目路を手に入れ、所有したその瞬間から共に人生を歩んで往く必然的な誓約なるものが必然的に結ばれる感覚というのもまた、そのパワーに起因するのでしょう。どのようなクリエイションを通過し、いかなる自然的恩恵や意図のセーヴがなされ、つまりは目の前のパワーを手に入れているという現実的内容を各作品毎にご説明させて頂くことは勿論叶いますし、そのようなメソッドが何よりも好ましく思いますが、概念的分野におけるカリーム・アジャブ氏が手掛けるKARIM HADJABの鬱然たる絶対領域に関しましては、「理解していたつもりであったが、それ以上に、あまりにも深かった」という正直な想いと、その及ばない理解というのがより複雑化した、という正直な心境に起因する具体例として、“ 氏の作品に対する圧倒的な愛の深さ ” をお伝えせねばなりません。例えるならば、氏は作品に対してまさに実子のように向き合い、時に誉め称え、時に叱り、個を尊重し、敬い、無条件に愛する。当初から一貫された氏の哲学である『 衣類=ヒト つまり、1つ1つの自立性 』が意志の制御の支配下にない領域で、「愛情」という形で顕われている、もっといえば、その愛情という無垢な性質の中に「敬意」が内包されておるのです。このようにコトバで表すのは容易なことでしょうが、無垢の敬意を孕んだ愛情というのを呼吸するのとまるで同じように習慣的に、何より偏執狂的に注ぐというのは、注げる人間というのは、そう多くはないとわたくしは感じております。そうであると思いますし、時間を共有した先日の機会で、よりハッキリと感じた次第であります。異常なまでの愛の深さについて。

 

 

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わたくしが勝手ながら氏が手掛けた作品に対して感じる感情、コトバ、表現として “ 民主的 ” である、という事も記しておきます。常軌を逸した段階を踏もうとも、ありえない、という言葉で括れるクリエイションであったとしましても、着地された作品というのはどこまでも現実味を帯び、どこまでも民主的であり、純粋な衣服であります。ピュアでクリアな目的をもった衣服であり、我々人類に深く添え得る衣服であります。それは、初見よりずっと抱いている具体的な感触であり、今でも一貫として心に深々と刺さっているような感銘であります。気に入った色彩、色調、クリエイション、フィッティング、コート、ジャケット、シャツ、分類できない衣、二面性、四面性、本来の実相、希少性、夥多性、特異性。どの方面でどのベクトルでどのように向き合おうと、どのような精選法を用いようとも、どのようにお選びになられましても、どのようなスタイルで着用されましても正解で御座いますし、心の底より、オーナーとしてたっぷりと愛情を注げるような1着、そんな出逢いでありましたら。
僭越ながら、我々としましても至極幸福に尽きる想いであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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