愛用品の基準 / Diary567
26.7.2018

自身の身の回りと成る愛用品の様々が周囲から誉れの対象となるか否かは人, 時, 場合それぞれなことと想いますが、いずれにせよそれは自身にとって可能な限り 100% の熱量となった最善であり、なにより自身の独善的かつ自己的な意思を主軸として選ばれた品であることを、私は心の底から願います。

この生業において、やはり欠かすことの出来ない一つが “ これはどうやって合わせれば ( =スタイリングすれば ) 良いか ” という話題です。色調, 質感, 装飾性, 造形比, 根本的な着用者自身の形状や骨格, そして時流など、多岐かつ複合的な論点にわたるそれは極めて繊細かつ難解で何より興味が尽きない、この生業においての醍醐味的要素の一つですが、私はそれに対して一つの自分勝手な基準がございます。それは申し上げることによって誤解を招く可能性を有しているようにも想われ、そもそも言葉にするべきではないとも想われることでもあり、きっと様々な角度で矛盾している一種の感情論ではありますが、既に幾度も SURR の空間にて御客様方に言葉で現わさせて頂いておりますこともあって僭越ながらこちらにも記させて頂きます。お時間ございましたら、宜しければご査収くださいませ。

 

 

 

 

 

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私自身において “ これはどうやって合わせれば ( =スタイリングすれば ) 良いか ” と思案することはございません。私は私自身の洋服を選ぶ際に、スタイリングを考えることはなく、着たいものと着たいものをただ単に組み合わせます。( ゆえに職質されるような世界観になることも時たまに。そういう時は自己責任ですので素直に従うまで ) しかしながらそれには一つの極めて重要な要素がございまして、それは前述の自分の独善的で自己的で意思で、かつ可能な限り 100% に近い熱量で選んだ品である ということ。私にとって何かと何かを組み合わせる ( =スタイリング ) という事柄においての唯一かつ絶対的なのは 自分の意志と自分の考えで品を選ぶ という基準なのです。極論であり暴論であり、思慮の欠片もない考えかもしれませんが、その基準さえあれば、どれとどれをどのように組み合わせようとも結局は調和する のではないかと考えています。場合によっては他者や周囲からするとその組み合わせが職質対象になったり, 不均一であったり, 時に非美的に捉えられるかもしれませんが、私にとってはその基準によって構成される物事こそが、誰にも真似できず金銭では手に入れられず貴賤のない “ 真の 個 ” です。

さて、このように独善的自己的基準で物事を選んできたがために、私の愛用品は冒頭の話で申し上げますと全くといって良いほど周囲から誉れの対象となりません。先日も親族結婚式におきましても甥っ子・姪っ子から散々 ( 本当に散々 ) でした。( あんなに仮面ライダー変身ポーズを見てやったのに ) 。そんな私のそんな品でも、誉れの対象にしてくれる友人・知人が何人かいるんだよ。 2 人か 3 人はいるんだよ と言ってやりたかったですが、 10 歳と 5 歳にそんなこと言ってもなぁと自粛しました。そもそも既にそれぞれは人生ゲームとベイブレードに夢中だったので。

 

個人的な印象としましては、愛用品の中でも体積が小さければ小さいほど独善性と自己性が強まるように想います。小さければ小さいほど、逆に 個 を強く表現するからでしょうか。私は全てにおいて過去の良きもの・新しき良きものを分け隔てなく選ぶのですが、考え返してみると時計とアイウェアだけは過去の良きものしか選んできませんでした。こだわらず素直な気持ちで選んできたら結果的にそう成っています。

 

 

 

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写真は 10 代の頃に手に入れた人生初のヴィンテージアイウェア。時を存分に経ても愛用できているというのは、本当に幸せなことです。

 

 

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