「何事も実直に」を人生のテーマとして心がけておりますので、見たことがないものは見たことがない、知らないものは知らないと申すように致しております。しかしながらお酒の席でドラゴンボールを読んだことがない、と “ 実直に ” 申しますと、はたしてこの男は人間なのであろうかというような目で、それはまるで長年付き添ってきた友人関係最大の裏切りのようで、あるいは冬期には出現するはずのないG級のGを突如目撃した瞬間のように、絶大な怒りと、巨大な哀しみと、無極の絶望が見事に入り混じった視線を向けられるのです。
おまえなんか男ではないと罵られながら。実直性というのはなんとも難しい気質のようであります。
同様に、J.M WESTONのGOLFを知らないというだけで、ファッションステージから一線置かれるような扱いを向けられるのはいささか許せぬ想いを常日頃抱いておりまして、あなたドラゴンボールを知らないのと同じだよ、と恥ずかしさを覚えろくらいの勢いで、上記3つの要素に加え、攻撃的な呆然も揃って。それはそう、素晴らしいPR域により、日本という地に力強く浸透したナンバーであること、ふつに符号であるかのように、または記号であるかのように人知れぬうちにネームとナンバーのみが過剰先行し、計りうる実際的な能力と、計り得ない内包的な美しさが共存した呆れるくらい凄い本質こそ知らねばならない情報であるように思いますし、まさにこれこそフランス靴であると。ドラゴンボールの魅力や主要人物、ボルテージが高まった際に発生する髪の増毛と変色の構造について、丁寧に優しく、実直に、教えてはくれないものかと、ビールを喉にそそぎながらそう思うわけです。
ようするに、私はドラゴンボールをまるで知りませんし、J.M WESTONの「GOLF」というモデルを心の底より、脳の中枢より、愛しているわけであります。
ダービーシューズとしての極地点のようにも思います。整合的に打ち込まれたステッチ、矛盾点がまるでない完璧無垢なUチップ、永年を賭けてたどり着いた解答のような5ホール、対大砲用フェルターのごとく分厚く頑丈なウェルト。事務的に足を入れ、手際よくシューレースを結び立ち上がれば、ジュエリーのような正方形のチョコレートを包装紙で丁寧に包み専用のボックスに収めた時のように小ぶりで可能な限りにミニマムな造形、アウトライン、フォルム、おおきさ、おもさ。足を着地させ隣の足を上げる瞬間に生まれる豊かなグリップ力。まるでこれが正解のように並べられるスタイリングなどどうでもよろしく、何を履いても何を着ようと成立する懐の深さ。いまや幻と謳われているロシアンカーフの恒久性。飾って眺めて写真を撮る種類の靴ではなく、紛れもなく人の足を護るための靴であり、その見事なまでの遂行力と、果たそうとする健気な姿勢。フランスの石畳に勝る力強い事実。別に良いのです、【更新】して【保存】を強行せず、右の人も履いてるから選択をしない一点法でも。騙されたと思ってどうぞ、というそれこそ呆れるようなセリフも申し上げるつもりもございません。ただ、ネームやナンバーを知らないという方にだけではなく、本質を知り得ない方にこそ、符号や記号のようの捉えるのではなく、実際的な内容を純粋な想いで知っていただきたいという気持ち。そう思っているわけであります。この靴を心の底より愛する者のひとりとして。
ただひたすら、実直に。
70s J.M.Weston, russian calf leather model “ Golf ”
SURR by LAILA 小林
03-5468-5966
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