デザイナーが1着に想いを乗せるその現実は、洋服として完成させる/衣類として成立させる過程において、目の前の人物に決して左右されることがなく、クリエイターとして、もしくは表現者として、完全なる “ 自由 ” が認められるプレタポルテという世界。故に、時代により誕生した国,文化,音楽,風習,総じて、カルチャーが如実に反映される媒体でもあり、並びに、製作者側の意図が全的に露出する種類のものであり、時にコンセプチュアルであったり、大いに変貌を遂げうる変則的/柔軟な能力が備わっていたり。それらお洋服自体がカルチャーとしての発信源となるでしょうし、きっとトレンディであるでしょうし、「おじさんそれもう流行ってないよ」が生まれるのでしょう。それはいつどきも、いつの時代も、今でさえそうでありますし、あるいは、だからこそ素晴らしい世界であると私は強く思います。
特に、紳士服飾史における「メゾン」というカテゴリーにおいては。この「変則的」というワードを拾い上げ一例をご紹介しますと、イタリアはパレルモのレストランで注文するトマトニョッキの味が毎年ガラりと、まるでまったく別の料理のように変わるのは、シェフが生え抜き入れ替わりするためであり、だからそのトマトニョッキの味が忘れられなければ同じレストランではなく、そのシェフについていけと現地民が言うように、メゾンという枠内においても少なからず同等の内容が見え隠れする「変則的」なレストランといえるのでしょう。例えばその “ 味 ” のジャッジも、食す側に全面に委ねられているからこそ、トマトニョッキの味がガラりと変化したとはいえ、今まで経験したことのない驚愕的な “ Buono! ” が誕生するプレタの世界は、本当に、鳥肌が立つばかり。
しかしながら、あるひとつの冠において、紳士服飾史における「メゾン」というカテゴリーの “ 中 ” に存在しているにもかかわらず、 “ 外 ” に位置付けられているようにみえるのは、変則性がまるで感じられず、徹底して一貫されたコンセプトの元、製作/提供される内容が明確に感じられるためであり、それは過去のお洋服を視ましても、現在のお洋服を視ましてもやはりそのように思います。私ごときの一意見で誠に恐縮な次第ですが、それは【シェフ】と【食す側】の欲する/求める意図が、常に共鳴するからこそ、“ 一貫された ” と感じるのでしょうし、実際にも一貫されているのでしょうし、仮にもシェフが生え抜き入れ替わりしたとて、紳士服において僅かな迷いもなく、それはカルチャーが如実に反映されるものでも、大いに変貌を遂げうる変則的/柔軟な能力が備わっていたりするものでもないのかもしれませんが、それと引き換えに得た “ 一貫性 ” こそ、最大の食材であり、そしてそれはパレルモのレストランが提供するトマトニョッキではなく、正真正銘フランスはパリに構え続けるメゾンが仕立てた、お洋服で御座います。
徹底された上質の提供と、正統的な佇まいをもって。
Newarrival 80s Hermes cotton blouson
Newarrival 80s Hermes balmacaan coat
いずれも明日よりお披露目と致します。
それでは、皆様のご来店を心よりお待ち申し上げております。
SURR by LAILA 小林
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