ドキュメンタリー映画きっての雄、フラハティの「Man of Aran」
島唯一の蒸溜所から丁寧に送り出されるスコッチ「Arran Malt」
アラン諸島と直接的に繋がる情報をイメージしたとて、上記2つが限界。
とはいうものの、フラハティを知らなければ18ヶ月に渡って記録した過酷な生活状況を知る術もないでしょうし、シングルモルトが好きでなければBarすら入らず、マスターから蒸留所の話も聞けないでしょう。
アイルランドの西岸、ゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島をダイレクトに思い浮かべるには「Alan sweater」がなにより。石灰質の岩盤のみで形成された島々で暮らすアイルランド人の主要産業は、農業、そして漁業でありますが、常に強風が吹き荒れる海上において男達の無事を祈り、将又、海の神に看取られた際に身元を特定するべく、女性達の手によって立体的かつ縄上に編み込まれた白いセーター。これが「Alan sweater」またの名を「Fisherman sweater」
6世紀も昔、あるいは1900年初頭と、その起源は諸説ございますが、少なからず、2017年10月20日今現在においてしましても、その島ではそのセーターが編み続けられていることも御含み置き頂きたい。
どのようにして生まれ、どのようにして広まり、どのようにしてファッションとして根付いたのか。
その究明にあたり努力を続行してきた世界各国のファッションジャーナリストや研究者には頭が上がりませんが、今でも尚、“ 諸説ある ” と定言化が困難である区分でしょう。それほど、ある限定された土地の限定された歴史を読み解くというのはとてもセンシティブで、スタティックな内容であると感じます。シンボリックな存在としてのみ我々の脳裏に焼き付いているのは、やはりそういうことだと思うのです。
スコットランド人が愛用していたガンジーセーターを元手に編みの独創化が進んだ、や、
母親が息子のために教会の堅信礼にあたり、普段のネイヴィやオートミールではなく、晴れ晴れしい真っ白なセーターを編んだ、や、
とあるユダヤ人は、この見事なまでの装飾的な編みは聖人の賜物であると、独自の解釈論を講じて英国に広めた、など。
「善か悪か」の物差で突き詰めると、どの説も素直に「善」ですので、それはそれで良いのでしょう。
何を信じて、何を論ずるかは。
少なからず、ファッションの視点でいち早く着眼したのが、クリスチャン・ディオール氏であったことは、これも一説として記しておきます。
その永くにわたり伝わってきた歴史の中で、文頭の説や、“ その編みは家紋を意味する ” などもございますが、たとえば母から娘、祖母から孫へ、仮に家紋としましても、その家紋の設計図は1枚たりとも存在せず、家庭料理や伝統料理のそれと同ベクトルで存在する内容であること。
縄の種類、織り幅や立体の高さ、厚み、長さ、それらイメージの具現化は、完璧に独立したインディビジュアルな世界。
家紋にせよ、男達の無事を祈った具現像にせよ、着るものを有効的に独立させるベクトルのみは共通で、それは恰もファッションの視点でさえも適う、純粋かつ洗練された個々の美しさに繫がりましょう。
その島の歴史と伝統を孕んだステージであると同時に、それらを渾然一体に身に纏うことで、その物語の一員になれる感覚は、仮にファッションにおいてでも、将又、ファッションとして括らずとも、有効的に認められる内容であるとわたくしは思います。
少なからず、そのストーリーとベクトルを全享受したか否かは、細かな説明やロジックやギミックなど決して必要ではなく、1着の編みと色、そして身体に沿わせたときに感じる匿名性のみで、事が足りましょう。
たとえそれが、1999年に発表された1着だとしましても。
1999a/w Maison Martin Margiela tutle-neck Alan sweater
“ どのようにしてファッションとして根付いたのか ” この3番目のステージにおいて、立役者のひとりとなったことは、彼のクリエイションや他の作品に目を通す度に、やはりそうなのだろうと思います。
そしてここまでを頭の片隅におきながら、端正に編み込まれたアランセーターを身の纏い、どうぞオーセンティックバーへ。おそらくアランモルトを注文せずとも、とある島の蒸留所の話を聞かせてもらえるでしょう。
少なからず、この1着は。
SURR by LAILA 小林
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