大看板の責任 / Diary817
7.1.2020

上質な, ラグジュアリーな, エレガントなスポーツスタイル。ここで挙げました “ 上質 ” という言葉は装いの在り方であったり品の在り方であったりを指しますが、近年においてより浸透した感のあるそれはそもそもにおいてプレタポルテが産まれてすぐに人々を魅了しておりましたし、と申しますかオートクチュールの草創期に既にある概念でしたし、更に申しあげますと遅くとも 1800 年代の中期には創造者や職人の頭には浮かんでいたことであると私は想っております。

近年におけるその概念に至るまでに様々な細分化や分布がありましたが、幾人かの才人による再構築や手仕事を織り交ぜた表現によってそれまでのモード概念が破壊された後に、ぶり返しの如く, 一度壊してから再度積み上げた建物の如く産まれた “ 非装飾の概念 ” も漏れなく上質なスポーツスタイルを表現しておりまして、それら品々の良い意味で雛形性から離れた印象に映る姿形でありながら日々寄り添ってみると様々な動作の瞬間, 生活の時間において雛形性を気付かせてくれる存在感の特異性もまた、二百年を越えるか越えないかの年月に居た有名無名な先人たち, 服飾史に名を遺すこれまでの才人奇人変人たち, そしてこれからの服飾史を積み重ねる人々と異なる価値を有します。

 

非装飾。いわゆるで言うところのミニマリズムには様々な解釈や方向性があり、それこそその概念においても細分化や分布がありますが、良い意味で哲学的ではない字の如く装飾に非ずな方向性と成りますと様々な事柄において難解さが増します。が、だからこそ公式が成り立ち謎が全て解けた時にその一着は特別な存在と成るのではないでしょうか。

 

 

 



装飾は機能性に直結し飾りとしてのそれらも染色や記号や文字のようなそれらも無く、要素の全ては雛型であるスポーツスタイルの概念・解釈に留まっておりますが、二重の前立てや立ちやすい襟構築、ポケットの位置と角度やベンツの深さ、知的な素材の豊かな表情と変化性といった日々において気付かせてくれる, 往々にして大きな喜びとなるそれら要素と、何よりも看板ならではの設計ならびに構築に対する探求心, そしてその看板だからこそ辿り着くことのできる着地点は、御覧の通り装飾に非ずの極めて極めて物静か, と申しますか誤解を恐れずに申しあげますと地味な、スポーツスタイルうんぬんも思い浮かばずモード・ピースであることも御人によっては気付かないやもしれぬ姿形に御認識なさるかもしれませんが、服飾における有史以降様々が成されてきた中でこのように難解な表現も必要不可欠ですし、新たな雛型としての存在価値と絶対的な不変性を “ 産む ” ことは看板を, 大看板を掲げるにあたっての責任の一つでも在るのではないでしょうか。
私は膨大な, 本当に本当に膨大な収集品が納められた地下二階の薄暗いコレクター様の空間でこの一着に出逢った時、どこのなにであるかを認識しないままただただ惹かれました。

 

 

 

 

 

late90s Christian Dior sports-style coat.

ビッグメゾンの大看板はただ文字の羅列と記号だけの存在価値には留まらず、留まることは許されません。だからこそそこに属する人々は ( きっと、間違いなく ) 愉しく話したり悩んだりしながら、先人達の力を様々な方法で拝借しつつ常に新たな服飾史を重ねて今に至っており、だからこそどこのなにかも認識せずとも人々の心を惹きつけるのだと想います。
設計者の熱量と職人技術の想いと装いの在り方への探求心が確かに在る純白に近しい乳白色の飾り立てる装飾のない物静かなコートが人の身体を包んだ際に産まれる瞬間瞬間の姿と、ムッシュ・ディオールが描いた美しきデッサンの数々が繋がるのは私だけ?

 

 

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