暴力的な石 / Diary748
7.8.2019

機能面や利便性に論点を置かないどころかそれらを一切考慮せず極めて極めて物質本位な判断だからこそ得られる美的な信号力を、どこまで高めることができるか否か。そもそも機能面や利便性など微塵も考えることなく自分本位な好き好みで品々を判断することができるか。その両者をごく自然に実行できる人々を私は純粋に格好良いと想い続けて今に至っており、きっとそのような人々はこのように頭で考えることなく “ そう ” 成っているのだろうな、とこれも厄介なことに頭で考えてしまうがゆえ、強い憧れと嫉妬心が入り混じった複雑な感情を抱いていたこともありましたが、自分もジョンのような, カートのような, ピートのような求心力豊かな人にいずれ成るであろうという荒唐無稽な夢からは遥か昔に覚めましたので、今は自分の立ち位置からはみ出ることなくやるべきことをやり、適材適所に収まるべく収まってだいぶ経ちますが、この生業で触れ合わせて頂く方々の中において稀に居られます, 人とは異なる判断や行動を平然とやってのけ自分らしく過ごしているだけで周囲を率いることになるような御人にふとお逢いしますと、時に在りし日の私の中に在った憧れと嫉妬心による燃焼機関の残滓のようななにかが私の中でうごめくかの錯覚と覚えるのですが、デコラティヴな装身具かつ暴力的な石を目の前にしますと、同じくな錯覚を覚えます。

 

 




宝石そのものを生業としていた人物が自らの手で製作した一つと、ヨーロッパ諸国における伝統的な様式美の一つですが、特に前者の翡翠を目の前にしますと途方もないほどに湧き上がる憧れと嫉妬心を誤魔化すことは到底不可能でして、生活において支障がないわけがないほどの大きさであり重くないわけがない質量のそれは、だからこそ議論の余地すら与えないほどの, 暴力的なまでに美しい信号が発され、まるで翡翠ならびに台座から “ 私を選ぶに至らないということは、まだその程度ということだ ” という挑発的な幻聴が頭に鳴り響いてきそうなほどの、これもまたデコラティヴの一つの完成形と言える “ 本物だからこそ ” の訴求力ですが、このような存在はジュエリーの世界全体を見渡しても前述の幻聴があながち間違っていないのではないかと想えるほどに限られており、皆様も御存知の通り “ かつ紳士的 ” となりますと一層に困難を極めますものの、そもそもにおいて皆様方に向き合って頂けるか否か解りませんが、私はこのような暴力的な石を身に着けている紳士諸君の存在を知ってしまったがために, それら人々の圧倒的な格好良さを忘れられず、そう成りたいと想わずにはいられませんために、この暴力的なまでに美しい石の信号と呼応する貴方との出逢いを陰ながら信じ願いまして御提案させて頂きます。

 

 

 

 

 

Coming soon.
60s French jeweler jade ring & 50s European citrin ring.

 

 

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