Patina / Diary693
26.3.2019

既に本人が去ってだいぶ経つ現在とそれ以前、更に本人が在籍していた時代も設立年の 1960 年から 2008 年の勇退に至るまで Valentino の在り方は常に変化してきましたが、ただ一つ言えるのは Valentino Garavani 氏はイタリアに留まらず服飾史そのものにおいて欠かせない存在であり、私が一つ強く強く想うのは氏における紳士服を遡った時に感じる本当に本当に心地良い品質への追及心と創作に対する探求心と、彩りや華やぎという感性の豊かさでして、それを論点と致しますと現代の Valentino とは印象が大きく異なりますが私にとっての真実は遡った時に得られるそれらであり、嗜好としてそれ以上も以下も不要でして、氏は “ 不完全であることが完全である ” という信念の一つを心に秘めていたのですが、私が想う限りではその信念の根本にある “ 考え方 ” は私の極めて “ 私的な考え方 ” に非常に馴染み深く感じられるがゆえに心が暖かくなると同時に、それを踏まえたうえで氏における紳士服を遡ると私的な考え方の一つの枝分かれとこれまた私が想う限りでこれまた極めて近い親和性を感じざるにはいられません。

それは老いたものや枯れたものと美麗なものや華やかなものが共存し、互いに影響を与えて成り立つといういわゆるで言うところの “ 侘寂 ” なのですが、氏の初期時代の紳士服からは溢れんばかりのそれらを感じることができまして、いわゆるで言うところの侘寂という概念を感じたがゆえに Valentino Garavani を愛したのか Valentino Garavani を愛したのちに侘寂を感じたのかは今や卵が先か鶏が先かですが、いずれにせよ上記の全てを差し置いてもやはり氏の初期時代の紳士服には強い求心力があるという解にしか辿り着きませんが、ただ一つ寂しく想わずにはいられないのが、なかなか出逢えないという明確かつ残酷な現実です。

1850 年頃に “ 負傷者が着辛い ” という理由から前面正中線を切り、ボタンを取り付けたことで産声を挙げたカーディガン 7 世発案の衣類、カーディガン。その純真無垢な起点ゆえの機能と美を至極丁寧に両立させたそれはヴィンテージの世界に数多在るにも関わらず弊店では御提案の機会が少なく、一個人的な感想と致しましては現代の品において丁度良い着地点の一着に出逢える機会が少ないがため双方において心寂しく欲求が満たされることのない鬼門の一つでございます。カーディガンはどのような存在立ち位置なのか、ふと考えることがございまして、私は不変的なものや機能と美を至極丁寧に両立させているものが好きなので存在としても実用品としても心から愛しているのですが、もしギャルに おじいちゃんじゃね? と言われたら素直に そうだねぇ と心からの微笑めるでしょう。カーディガン、不思議な存在です。しかしながらきっとギャルも現在人気の俳優さまなどが着ていたら かっこよくね? と言うのでしょう。今は誰が人気なのですか?ちなみに私が一番好きな俳優は萩原 健一です。

 

 

 

 

 

70s Valentino uomo, wool cardigan

“ 編み ”という行為, 工業性において極めて素朴で実直かつ品質に対する高い意識があってこそ実体化した氏の芳醇過ぎる, 良い意味で異端的とも言えるほどの創造性。いつまでも刺激的であり前衛的ですらある彩りや華やぎという豊かな感性を収めた入れ物は本品においてカーディガンという不変的 = クラシックな衣類でございました。私にとってこれは、それこそ不変的である時代や国や文化を越えて心に響かせることのできる概念の侘寂でございます。

 

 

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